20年代の世界
ロシア革命と共産党
17年のロシア革命で社会主義国家が誕生した。19年3月には、モスクワでコミンテルン(第3インターナショナル)が結成。ヨーロッパを中心に各国で共産党の結成が進んだ。
21年、中華民国で中国共産党が結成。24年には第1次国共合作が成立。中国共産党を中心にアジアでも共産党結成の動きが始まった。
東南アジアでも、20年代後半から30年代にかけていくつかの共産党が結成された。
第1次世界大戦の影響
第1次世界大戦は、総力戦とのなった。そのため植民地の協力も必要となった。その影響で宗主国は植民地に対して自治権を約束した。これにより独立運動の動きが高まった。
ロシア革命の「平和に関する布告」やアメリカのウィルソン大統領の「十四か条の平和原則」で民族自決が掲げられると、独立運動に拍車がかかった。
しかし、19年のヴェルサイユ講和会議ではアジアアフリカ地域の独立はほぼ認められなかった。これにより、宗主国と植民地の人々に乖離が生じるようになった。
革命家の台頭
ホーチ=ミン(ベトナム)
ホーチ=ミン氏は90年にベトナムで生まれる。父は、阮朝の宮廷で働いていた。父の影響で中国語を学んだ。管理養成学校に進み、フランス語の勉強を行う。農民運動に参加したことで退学処分になる。
11年、フランスにわたる。フランス人労働者と生活を共にし社会主義に傾倒していく。17年、パリでロシア革命の報を受け、レーニンに憧れる。19年、フランス社会党に入党。
20年12月、フランス共産党結党大会に参加。23年、ソ連にわたり、アジア担当の常任委員に選ばれる。第一次国共合作が行われると、中華民国の広東にわたる。ここでベトナム青年革命同志会を結成。30年にベトナム共産党を成立させた。
スカルノ(インドネシア)
01年、ジャワ島の下級貴族の家に生まれる。26年、現地の大学を卒業するとオランダに留学。27年、オランダから帰国。インドネシア国民党政府を樹立。
アウンサン(ミャンマー)
14年、ミャンマーに生まれる。当時、一家はイギリスの植民地政策への抵抗運動を展開していた。
フィリピン共産党
フィリピンは、19世紀末にアメリカの植民地になった。経済もアメリカの自由主義経済が導入された。これにより、フィリピンでは貧富の差が拡大した。
29年にはフィリピン社会党、30年にはフィリピン共産党と小作人や労働者などの貧困層を支持基盤とした政党が支持を集めるようになった。
イスラム同盟 vs 共産党 in インドネシア
インドネシアは、第一次世界大戦によって大規模な食糧不足が発生した。その要因は、強制栽培制度で穀物生産が急減したためである。この不満は独立運動へと向かわせた。
10年代、独立運動の中心はイスラム同盟であった。
その頃、コミンテルンは、共産主義者を各地に派遣するようになった。ホー=チミン氏もその1人であった。コミンテルンとは、ロシア革命で成立した第3インターナショナル(国際的共産主義者団体)である。
20年、アジア初の共産党がインドネシアに成立した。インドネシア共産党である。