1930年代の中国 満州国建国と日中戦争

前回の復習 1940年代前半の中国

 1970年代の中国。外交では、日本やアメリカと国交を結んだ。政治では、毛沢東国家主席や周恩来首相が死亡。政治の混乱を経て、鄧小平政権が成立する。

1930年代の国際情勢

 日本は、高度成長期。64年に東京オリンピックが開催された。

 この60年代は、キューバ危機で始まった。米ソは軍縮へむかった。65年にベトナム戦争が勃発。これにより、アメリカは融和路線へ向かっていく。

満州国建国

30年の中国

 国民党と共産党の内戦状態にあった。国民党のバックには上海に拠点をおいているイギリス・アメリカの資本家たちであった。一方、共産党のバックにはソ連がついていた。

満州事変

 31年5月、広東国民党政府が成立。9月、柳条湖事件で満州事変が起こる。11月、中国共産党の毛沢東氏は、江西省の瑞金で中華ソビエト共和国臨時政府を樹立。

満州国建国

 32年1月、上海事変。3月、日本の関東軍が満洲国を建国。トップに元清王朝皇帝の溥儀をおいた。

リットン調査団

 32年10月、リットン調査団が国際連合に報告書を提出。

日本、国際連合を脱退

32年2月、満洲国が熱河侵入。33年3月、日本が国際連盟を脱退。

中国共産党の長征

 34年10月、中国共産党が長征を開始。瑞金からソ連に近い延安に拠点を変更。

 35年1月、中国共産党、八一宣言。国民党政府に和解と抗日戦線を呼びかける。

 35年、国民党政府は、通貨統一を実施。これは、上海の資本家の要請によるものである。これにより、地方の軍閥の力は弱わまった。

 36年10月、長征が完了。

日中戦争

西安事件と第二次国共合作

 36年12月、西安事件。張学良が、蒋介石を監禁。

 37年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まる。9月、第二次国共合作。

南京陥落

 37年12月、日本軍、南京を征服。蒋介石は、重慶に拠点を移す。

ノモンハン事件

 39年、日本軍(満洲国)とソ連軍(モンゴル)が武力衝突。これがノモンハン事件である。

汪兆銘南京政府

 40年1月、日本軍は汪兆銘の南京政府を樹立。

 59年、大飢饉が発生。毛沢東氏は、国家主席の地位を劉少奇氏に譲った。

蒋介石国民党政府

国連代表権と国家承認

上海の銀行資本家

 アメリカとイギリスの資金で成長。

 毛沢東共産党政権の土地改革

 69年3月、珍宝島をめぐりついにソ連と武力衝突した。8月には、新疆ウイグル自治区でも武力衝突が起こった。

通貨統一

 上海政府は、通貨の統一を実施。これにより、地方の軍閥が衰退した。

 67年10月、インドネシアで親中のスハルト大統領が失脚。8月には、ASEANを発足させた。10月、中国は、インドネシアと事実上国交を断絶した。

重慶臨時政府

 62年10月のキューバ危機をきっかけに、核保有国のアメリカ、ソ連とイギリスは核軍縮へと舵を切る。これで成立したのが、63年8月の部分的核実験禁止条約である。これに反発した2つの大国がある。60年代に核保有国になったフランスと中国である。

 64年1月、フランスのド=ゴール政権と国交正常化。

 64年10月、核実験に成功。

 68年7月、アメリカ、イギリスとソ連は、フランスと中国を警戒し、核拡散防止条約(NPT)を締結した。

毛沢東共産党政府

中華ソビエト共和国

 中ソ対立の始まりは、フルシチョフ書記長のスターリン批判から始まる。53年にスターリンが死去。フルシチョフ氏は書記長に就任。56年にスターリン批判を実施。58年に首相に就任。アメリカへの接近を始める。毛沢東氏は、これを快く思わなかった。

 59年9月、フルシチョフ書記長と毛沢東氏が会談するも決裂。翌60年7月、フルシチョフ書記長は、ソ連の技術者を中国から引き揚げさせた。これにより、中国経済は低迷した。

 

長征

 インドと中国は、50年代、第3世界の雄として良好な関係を築いていた。

 しかし、59年3月、ここに亀裂が生じた。チベット動乱である。チベットで動乱が発生。ダライ=ラマは、インドへ亡命した。

 62年10月、カシミア地方を巡り、インドと武力衝突。(中印国境紛争)

八一宣言

 50年代、中国は、インドとともに第3世界のリーダーとしての地位をあった。61年、ユーゴスラビアのベオグラードで、第1回非同盟諸国首脳会談が開かれた。

 東南アジアにも、大きな景況を与えた。61年4月、インドネシアのスカルト政権と中国インドネシア友好協力相互援助条約を締結した。