10世紀のエジプト
10世紀は、シーア派王朝のファーティマ朝が成立。カイロが建設され、世界最古の大学であるアズハル学院が建設された。
今回は、ファーティマ朝の前にエジプトを治めたトゥールーン朝を見ていきますす。
トゥールーン朝
トゥールーン朝は、9世紀半ばにアッバース朝から独立した国。エジプトとシリアを支配した。建国者は、アフマド=ビン=トゥールーンであった。彼は、トルコ系軍人奴隷(マムルーク)であった。
当時のエジプトは穀倉地帯であった。そのため、アッバース朝の収益の大部分はシリアとエジプトからもたらされた。エジプトの総督であったアフマド=ビン=トゥールーンは、エジプトとシリアの時がバグダードに収奪されるのに疑問を持ち、独立を決行した。
トゥールーン朝は約半世紀存続したが、10世紀初頭にアッバース朝に再び併合された。
チュニジアのアグラブ朝
アグラブ朝は、8世紀末にアッバース朝から自立したチュニジアの王朝である。
チュニジアは、北アフリカの中央部に属し、イタリアの真南にある国である。古代には、フェニキア人のカルタゴやゲルマン民族のヴァンダル王国の都がおかれた。
8世紀末は、アッバース朝の全盛期である。当時のカリフはアハールーン=アッラシードである。チュニジアから西には、独立を王朝が存在した。ハールーン=アッラシードは、チュニジアを前線基地としてアグラブを派遣した。それで成立したのアグバル王朝である。
アグラブは、西部のイスラム系独立王朝をけん制しながら、南イタリアへも侵攻した。当時のイタリアは、ビザンツ帝国とローマ教会が勢力争いをして混乱していた。アグラブは容易に南イタリアへ進出することができた。
しかし、10世紀初頭にシーア派のファーティマ朝によって滅亡した。
アッバース朝の分裂
概要
8世紀半ばにアッバース革命が起こると、北アフリカでは独立政権が次々成立した。
- 8世紀
- 756年 スペインの後ウマイヤ朝
- 777年 アルジェリアのルスタム朝
- 789年 モロッコのイドリース朝
- 9世紀
- 800年 チュニジアのアグラブ朝
- 868年 エジプトのトゥールーン朝
これらの王朝のトップは、地方総督をいみするアミールの称号を用いた。
アッバース朝の全盛
ハールーン=アッラシード
8世紀後半、5代目カリフがハールーン=アッラシードが即位した。8世紀末にアッバース朝の全盛期を迎えた。千夜一夜物語の舞台は8世紀末のバグダードである。
この時代は。フランク王国のカール大帝の時代である。
イスラム文化
ハールーン=アッラシードは、多くの芸術家を保護した。また、エジプト(アレキサンドリア)で保管されたいた多くの文献をバグダードへ持ち去った。彼は、「知恵の宝庫」と呼ばれる図書館を作った。
彼の死後(30年)、バグダードに知恵の館を建設。ラテン語などの文献がアラビア語に翻訳された。
ここでの知識が、10世紀のエジプトのアズハル学院と11世紀のニザーミヤ学院でひろめられた。
後継者問題から衰退期へ
09年にハールーン=アッラシードが亡くなる。この後。後継者争いが発生。カリフの地位が低下した。