1世紀のスペイン ローマ帝国の属州ヒスパニア

前回の復習 2世紀のスペイン

 2世紀のスペインは、ローマ帝国の属州で、ヒスパニアと呼ばれていた。この時代のローマ帝国は五賢帝の時代である。五賢帝のトラヤヌス帝とハドリアヌス帝は属州ヒスパニア出身である。

 今回は、ローマ帝国の属州の経営を見てい行きます。

1世紀の国際情勢

 1世紀(1-100年)。日本は、弥生時代。倭の奴国王が、後漢に朝貢し、金印を授かった。中国では、光武帝が漢王朝(後漢)を再興した。

 中東のパレスチナでは、イエスが処刑。その後、ローマ帝国内でキリスト教の布教が始まる。

ローマ帝国の属州とは

属州とは

 ローマ帝国は、イタリア以外の地域をいくつかの属州に分けて支配した。属州は、『十分の一税』をローマに納付した。

属州のピラミッド

 属州のトップは、ローマ中央政府が任命する総督である。総督は、複数の徴税請負人を使って、統治した。総督や徴税請負人は、属州民から税を徴収する際に、自分たちの取り分をこっそり上乗せした。そのため、総督や徴税請負人は、上乗せ分によって裕福になった。

 属州の人々は、都市単位で税金がかけられた。都市の上層部の人々にはローマ市民権が与えられ、総督をサポートした。

総督の決定方法

 総督は、元老院が任命する。しかし、帝政ローマでは、異民族の侵入や反乱などで危険な属州は、総督の任命は、皇帝に一任された。皇帝が総督を任命する属州には、ローマ軍が駐屯した。

 ユダヤの反乱が頻発するシリアやゲルマン人の侵入が激しいガリア(北フランス)は、皇帝が総督を任命した。

 例外は、イタリアとエジプトである。ローマのあるイタリアには総督が設置されず、皇帝が執政官として統治した。また、ファラオが統治していたエジプトは、皇帝の直轄地とされた。

皇帝とは

皇帝の称号

 紀元前1世紀末に初代ローマ皇帝オクタウィヌスが誕生した。最初に与えられた称号は、「最高軍司令官」であった。「カエサル」、「神の子」の称号も加えられ、最後に「アウグストゥス(尊厳者)」が加えられた。

皇帝の権限

 ローマ皇帝の権限は、様々ある。最も大きいのは、軍の最高司令官である。さらに、属州総督命令権がある。また、共和政ローマ時代の役職はそのまま残った。その要職の大部分は、皇帝が兼任した。執政官(コンスル)などがその一例である。

属州ヒスパニア

 2世紀のスペインは、ローマ帝国の属州であった。属州になったのは紀元前2世紀のことである。ヒスパニアは、3つの属州に分けられた。北部と南部、西部である。

 地中海沿岸の南部の総督は、元老院が指名。大西洋沿岸の北部と西部は、皇帝が指名した。

 ヒスパニアの名産は、ワインである。ローマ帝国内外で売られた。