7世紀のスペイン 西ゴード王国とトレドの繁栄

前回の復習 8世紀のスペイン

 中世のスペインのテーマは、レコンキスタである。8世紀はそのはじまり、イスラム教徒の侵入の時期である。西ゴート王国が滅亡し、スペインの大部分はイスラム圏になった。

7世紀の国際情勢

 7世紀(601-700年)、中世の始まりである。ムハンマドによってイスラム教が成立した。

 日本は飛鳥時代。大化の改新で天皇中心の国家体制が構築されていく時代である。

 中国では唐王朝が成立。このあと、長期王朝になる。ヨーロッパはゲルマン民族大移動の終盤である。

西ゴート王国

西ゴード王国

 西ゴート王国は、ゴート族の国家。フランク王国に南フランスをうばわれて、領土はスペインのみになっていた。

都トレド

 西ゴート王国は、南フランスから撤退すると都をトレドにおいた。トレドは、イスラム勢力下に入ったあとも首都ゴルドバに次ぐ第二の

宗教政策とユダヤ人

 西ゴート王国は、元々キリスト教アリウス派を侵攻していた。しかし、6世紀の修道院運動の影響で正統のアタナシウス派に改宗。ローマ教皇と結びつきを強化した。

 この時期から西ゴート王国は宗教色を高めた。この時期からユダヤ教徒へ迫害が始まった。

周辺国の状況

フランク王国

 フランク王国は、フランスからドイツに広がる大帝国になっていた。当時はメロディング朝の時代である。しかし、分割相続の影響で貴族が力を持つようになった。

ローマ教皇

 7世紀のローマは、度重なる戦乱で荒廃していた。

 6世紀、東ローマ帝国が地中海を再統一すると、コンスタンティノープル教会が力を持ち始めた。これに抵抗するために、ローマ周辺ではベネディクト派の修道院運動が始まる。

 修道院運動は、「祈り、働け」のスローガンのもと、山奥で集団生活を行った。修道士は、西ヨーロッパ各地で布教活動を展開した。

バスク人

 7世紀、多くのバスク人がフランク王国や西ゴート王国から逃れて、ナバラ地方の山岳地帯で生活するようになった。

 ナバラ地方は、大西洋に面し、フランスとの国境付近の地域を指す。ピレネー山脈の西端のため山岳地帯になっている。

 山岳地帯のため攻めにくい地の利がある。そのため、フランク王国や西ゴート王国を撃退し続けた。

スエボス

 西ゴート王国は、スペインを完全に統一したわけではない。各地に敵対勢力があった。

 スペインの北西部にはスエボスがあった。スエボスはスペインの先住民である。隙があれば西ゴート王国へ侵攻。スエボスは西ゴート王国にとって目の上のたんこぶであった。

 8世紀に西ゴート王国が滅亡すると、西ゴート王国の貴族がスエボスに亡命。ここにレオン王国を建国する。これが現在のスペインまでつながる。

東ローマ帝国

 地中海沿岸には、東ローマ帝国の拠点があり、こちらも西ゴート王国に脅威を与えた。

 東ローマ帝国は、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に都を置く、東欧の国である。

 6世紀に地中海を再統一。このときに西ゴート王国まで侵攻。征服することはできなかったが、多くの拠点を手に入れた。

 7世紀に入ると、東ローマ帝国はイスラム勢力の侵攻を受けるようになる。

イスラム勢力と北アフリカ

 7世紀、最大の出来事はイスラム教の成立である。これの出来事はヨーロッパにも影響を与えた。

 正統カリフの時代には、東ローマ帝国からシリア・エジプトを奪い、地中海に進出。

 7世紀なかばにウマイヤ朝が成立すると、北アフリカを征服。カルタゴ人やベルベル人を支配した。