前回の復習 10世紀のスペイン
1810年代のスペイン。フランス皇帝ナポレオンの支配下にあった。14年にナポレオンが敗北。15年のウィーン会議でスペイン=ブルボン朝が復活。フィルディナント7世が復位。フィルディナント7世は憲法を停止。これによりスペイン立憲革命が始まる。
9世紀の国際情勢
9世紀(801−900年)、日本は平安時代。新都の平安京の造営がおわると、東北への侵攻が始まった。8世紀末には、菅原道真の進言で遣唐使が廃止される。
中国では、唐王朝が滅亡、五胡十六国の戦乱期に入っていく。ヨーロッパでは、カール大帝のフランク王国が3つに分裂。ドイツ、フランス、イタリアのもとになる。
バグダードの文化がゴルドバに伝わる
後ウマイヤ朝
後ウマイヤ朝は、8世紀にスペインに成立したイスラム教の王朝である。10世紀に全盛期を迎える。
9世紀の後ウマイヤ朝は、スンニ派を信仰。アッバース朝(バグダード)のカリフを容認し、国王はアミールと名乗った。
民族は、シリアから来たアラブ人と北アフリカのベルベル人の混合政権であった。
首都ゴルドバ
後ウマイヤ朝は、ゴルドバに都をおいた。ゴルドバは、スペイン南部のアンダルシア地方の年である。ゴルドバは、現在も歴史的な観光地であり、世界遺産のメスキータ(大聖堂)がある。
当時のゴルドバは、バグダードに次ぐ第2位のイスラム都市である。
9世紀初頭のイスラム世界
9世紀初頭のイスラム世界は、アッバース朝の全盛期である。ハールーン=アッラシールドの時代である。この時代に多くの学者や芸術家はバグダードに向かった。
しかし、ハールーン=アッタシールドがなくなると、後継者争いでアッバース朝の影響力が落ちていく。これにより多くのアミールが独自の動きを始めた。これにより後ウマイヤ朝が繁栄していく。
バグダードにいた学者や芸術家も、バグダードを見限りゴルドバへ移住した。バグダードの宮廷料理がゴルドバに伝わった。のちのフランス料理の原型と言われている。
国際都市トレドと宗教政策
イスラム教は、他の宗教に寛容である。とくにウマイヤ朝は民族の差別がを行ったが、異教徒には寛容であった。シズヤ(人頭税)を支払えば自治を認めていた。これは後ウマイヤ朝にも引き継がれた。
トレドやゴルドバには、キリスト教徒やユダヤ教徒と居住区があった。これが16世紀のスペインの繁栄につながった。
16世紀まで、スペインには多くのユダヤ教徒がいたが、16世紀後半のフェリペ2世のカトリック政策によって多くのユダヤ人がスペインを離れた。
北部のキリスト教国
三大巡礼地サンティアゴ=デ=コンボステーラ
スペイン=ブルボン家は、現在まで続くスペイン王室である。始まりは、フランス=ブルボン家の分家で、太陽王ルイ14世の孫が始まりである。
57年、ムワッヒド朝はイベリア半島の南半分を支配した。
レオン王国
35年、アラゴン王国が成立
76年、ナバラ王国と合同
ナバラ王国
85年
トラファルガー海戦の敗北で、国王カルロス4世と宰相ゴドイは、国民の信を失っていた。都市部の自由主義者たちは新国王としてフィルディナント7世を望んだ。
カール大帝とバルセロナ辺境伯領
8世紀最後の年(800年)のクリスマス、カール大帝は戴冠式を迎えた。
9世紀に入ると、カール大帝はスペイン半島へ侵攻。後ウマイヤ朝からバルセロナを奪還した。カール大帝はここをバルセロナ辺境伯領した。これが、カタルーニャの始まりである。