13世紀のスペイン レコンキスタと南イタリア進出

前回の復習 14世紀のスペイン

 中世のスペインは、キリスト教vsイスラム教のレコンキスタ(国土回復運動)の時代である。

 14世紀は、レコンキスタ最後の大戦闘であるサラードの戦いが行われた。これにより、スペイン(イベリア半島)からモロッコ人(ベルベル人)国家が一掃。のこすは、ナスル朝のみとなった。

13世紀の国際情勢

 13世紀はモンゴルの世紀である。鎌倉時代の日本もモンゴルの侵攻を受けた。

 日本は鎌倉時代。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台は、12世紀末から13世紀前半が舞台である。

 ヨーロッパは十字軍の後半戦。第4次十字軍以降の時代である。十字軍の失敗で、キリスト教の権威は、落ちた。13世紀初頭、インノケンティウス3世の絶頂期であったのだが、14世紀にはアナーニ事件が起こる。

カスティーリャ王国とレコンキスタ

カスティーリャ王国とは

 13世紀のスペインは、2つの国に分かれていた。東のアラゴン王国と西のカスティーリャ王国である。カスティーリャ王国は、10世紀に成立。当初は、北西部の小国であったが、レコンキスタで南へ拡大した。

 13世紀のカスティーリャ王国の都は、トレドである。トレドは、イベリア半島の中央部にあり、川中島で防衛上優れた街である。古代は、西ゴード王国の都であった。

トレドは、カスティーリャ王国の都であると同時でカスティーリャのキリスト教の総本山であった。

大翻訳事業

 12世紀から13世紀は、大翻訳時代である。イスラム教では、ギリシャ語で書かれた多くの文献をアラビア語に翻訳されていた。トレドでは、アラビア語で書かれた文献をラテン語に翻訳された。

レコンキスタ

 レコンキスタ(国土回復運動)は、スペインからイスラム勢力を撃退する運動である。後ウマイヤ朝が滅亡した11世紀から本格化した。しかし、キリスト教勢力内の内紛もあり、順調に進んでいなかった。

 13世紀初頭は、キリスト教の全盛期である。最強のローマ教皇インノケンティウス3世の仲介で、カスティーリャ王国とポルトガル王国の連合軍を結成。

 12年に、ムワッヒド朝をスペインから撃退した。36年には、ゴルドバを占領。残るは、ナスル朝のみとなった。

アラゴン王国とシチリアの晩鐘

アラゴン王国とは

 アラゴン王国は、11世紀にスペイン北東部に成立した国である。のちに、フランク王国の辺境伯領であるカタルーニャと合同した。

シチリアの晩鐘で、南イタリアを領有

 82年、南イタリアのシチリアでシチリアの晩鐘事件が起こる。アラゴン王国はこれに介入。14世紀初頭にシチリア王を兼任するようになった。

 13世紀、シチリア王家は、フランスのアンジュー家であった。アンジュー家は、13世紀初頭のアンジュー家はイングランドのプランタジネット朝時代のイングランド王であった。しかし、失地王ジョンの時代にフランス王家のカペー家に譲渡された。フランス国王ルイ9世の弟がアンジュー博になった。アンジュー伯は、南イタリアのナポリ王国と質チア王国(2つ合わせて両シチリア王国)を獲得した。

 新領主は、シチリア島で評判が悪かった。そこで起きた反乱がシチリアの晩鐘である。シチリアの人々は、フランスの鎮圧軍がくるとアラゴン王国に支援を求めた。アラゴンは、フランス軍を撃退した。

 これにより、シチリア島はアラゴン家、半島部(ナポリ王国)はフランスのアンジュー家が統治するようになる。15世紀、ナポリ王国のフランス=アンジュー家が断絶すると、イタリア戦争が勃発する。

ポルトガル王国、レコンキスタ完成

 ポルトガルは、12世紀にカスティーリャ王国から独立した国である。そのため、ポルトガルとカスティーリャ王国は関係は悪かった。そのため、12世紀後半はレコンキスタがそれほど進まなかった。

 12世紀末に最強のローマ教皇インノケンティウス3世が即位。インノケンティウス3世の仲介でカスティーリャ王国とポルトガル王国の連合軍を結成。12年、連合軍はスペインからムワッヒド朝を撃退した。

 49年、ポルトガル王国はレコンキスタが完了。55年、ポルトガルはリスボンを首都にする。97年、カスティーリャ王国との国境が確定。

 15世紀初頭には大航海時代へ向かう。

ナスル朝の成立

ナスル朝とは

 ナスル朝は、スペインにある最後のイスラム王朝である。都をグラナダにおいたのでグラナダ王国とも呼ばれる。15世紀末のグラナダ陥落で滅亡した。

ナスル朝の成立

 12世紀のイスラム勢力は、ムワッヒド朝の時代であった。12年、ムワッヒド朝はキリスト教勢力に破れ、スペインから撤退。スペインのイスラム勢力は分裂状態になった。

 32年、スペインのイスラム勢力をある勢力が取りまとめた。これがナスル朝である。

首都、グラナダ

 ナスル朝が都をおいたのは、スペイン南部のグラナダである。

アルハンブラ宮殿

 ナスル朝は、グラナダにアルハンブラ宮殿を建造。このアルハンブラ宮殿は、現在も残っており、イスラムの空気が感じられる。このアルハンブラ宮殿は、現在、世界遺産になっている。

カスティーリャ王国へ朝貢

 ナスル朝とキリスト教との関係は良好で、ナスル朝はカスティーリャ王国に朝貢を行っていた。

ムワッヒド朝の滅亡

ムワッヒド朝とは

 ムワッヒド朝は、モロッコ(マグリブ地方)に12世紀に成立した王朝である。ムラービト朝を滅ぼして成立。都はムラービト朝と同じマラケシュである。

スペインからの撤退

 12年、ムワッヒド朝は、ポルトガル、スペイン連合軍に破れ、スペインから撤退した。30年に、スペインにイスラム教国のナスル朝が成立する。

マリーン朝の成立

 ムワッヒド朝が滅亡したモロッコ(マグリブ)ではマリーン朝が成立した。

マリ王国の成立

 一方、アフリカ内陸部のニジェール川沿岸は、40年にマリ王国が成立した。

 ニジェール川沿岸部には、ガーナ王国があったが、11世紀にモロッコのムラービト朝の侵攻を受けて滅亡。