前回の復習 1870年代のスペイン
1870年代、スペイン=ブルボン家は一時停止。第一共和政が成立した。しかし、第一共和政は短命に終わり、スペイン=ブルボン朝が三度復活した。
1860年代の国際情勢
1860年代、日本は幕末。倒幕運動が活性化。68年の大政奉還で明治時代が始まる。
ヨーロッパは、ナポレオン3世の時代。ドイツとイタリアが統一されたのもこの時代。
普仏戦争とスペイン王位継承問題
普仏戦争
普仏戦争とは、70年に起きたプロイセン(後のドイツ)とフランスの間に起きた戦争である。
この戦争に勝利したプロイセンは、ドイツ帝国を建国。ビスマルク外交の時代へ向かっていく。
一方、敗北したフランスは、皇帝ナポレオン3世が失脚。第三共和政が始まる。また、パリの都市労働者はパリ=コミューンを開始する。
きっかけは王位継承問題
この普仏戦争のきっかけは、スペインの王位継承問題がある。
スペインは、68年のスペイン九月革命で空位になっていた。九月革命の指導者たちは、新国王を誰にするか頭を抱えていた。そのときに白羽の矢が立ったのが、プロイセンのホーエンツォレルン家である。当時のプロイセンはプロイセン=オーストリア戦争に勝利して勢いづいていた。
ここで待ったをかけたのが、フランス皇帝ナポレオン3世である。皇帝ナポレオン3世は、スペインとプロイセン(ドイツ)の挟み撃ちをどうしても避けたかった。
スペイン九月革命
スペイン九月革命
スペイン9月革命は、68年に起きた急進革新派のクーデターである。
当時の女王であるイザベル2世は皇太子を連れて、フランスへ亡命した。フランス皇帝ナポレオン3世は、スペイン=ブルボン家と良好な関係を築いていた。
急進革新派は、議会を開いて68年憲法を制定した。
キューバ独立運動
キューバは、カリブ海(中米)にある島国である。フロリダの真南に当たる。
キューバを含めた多くの中南米諸国は16世紀以降、スペインの植民地であった。19世紀初頭、隣のフランス植民地ハイチに黒人共和国が成立。多くのクリオーリョ(白人移民の子孫)がキューバへ移住した。
68年、スペイン本国で九月革命が成立。翌10月にキューバでもクリオーリョの反乱が起こる。ただ、南北戦争直後のアメリカは、キューバを支援できなかった。さらに反乱軍も奴隷制問題で内部分裂。78年に鎮圧された。キューバが独立するのは、95年の第二次キューバ独立戦争(米西戦争)のときである。
イザベル2世の治世
革命の背景には、女王への信頼の低下があった。国民はラテンアメリカの相次ぐ独立でスペイン政府への信頼は低下していた。
そのような中、43年に、イザベル2世の親政が始まる。ただ、当時の内閣は保守派政権と進歩派政権が次々変わり安定していなかった。そのため、国民の女王への信頼は更に低下した。
19世紀スペインの政治勢力図
19世紀スペインの政治勢力図は、30年代に構築された。保守派と革新派の対立である。
前国王フィルディナント7世が亡くなると、王妃はわずか3歳の自分の娘であるイザベル2世を次の国王に指名した。これに反発したのが保守派である。宮廷関係者は、革新派と結びついて保守派に対抗。イザベル2世が正式な女王になった。
革新派は、王室と結つくことで更に2つの派閥に分かれた穏健革新派と急進革新派である。68年革命を起こしたのは、急進革新派である。
スペイン=ブルボン家
スペイン=ブルボン家
スペイン=ブルボン家は、フランス=ブルボン家の分家である。現在も続いている。
18世紀初頭のスペイン継承戦争で成立。19世紀初頭、ナポレオンの侵攻で一時停止。1815年のウィーン会議で復活している。
スペインと憲法
憲法とは、時の権力者(国王などの君主や大統領)の権限を制限する法律である。国王は、これを遵守するとは限らない。しかし、これを破棄すれば、革命を辞さないことを意味する。
国家は、大きく君主制と共和政に分かれる。君主制は、世襲による君主(天皇や国王、スルタンなど)がいる国である。共和政は、君主がいない国である。君主の代わりに選挙や議会で選ばれた人(大統領など)が国家元首を務める。
君主制も、憲法で権限を成約された立憲君主制と憲法のない絶対王政に分かれる。
スペインは、1812年のナポレオン帝政期に最初の憲法が成立。しかし、1815年にスペイン=ブルボン朝が復活すると憲法は停止した。30年、この憲法の復活を求めてスペイン立憲革命が起こるが、絶対王政は維持された。
この時、憲法反対派にいたのが後の保守派であり、憲法復活派にいたのが後の革新派である。