1930年代のスペイン フランコ将軍がスペイン内戦に勝利

前回の復習 1940年代前半のスペイン

 スペインは、第二次世界大戦では中立の立場を取った。第二次世界大戦で連合国が勝利すると、スペインは孤立していく。

1930年代の国際情勢

 1930年代は、世界恐慌の時代である。29年のブラックサーズデーをきっかけに世界恐慌が始まった。イギリスやフランスはブロック経済を実施。ドイツではヒトラーのナチ党が台頭した。

フランコ総統がスペイン内戦に勝利

フランコ総統

 フランコ総統は、75年に亡くなるまでスペインで独裁政権を引いていた。この章では、フランコ総統がこの地位についたスペイン内戦を見ていきます。

スペイン内戦前のフランコ総統

 フランコ総統は、10年に士官学校を卒業。モロッコへ派遣される。モロッコでスペイン軍は苦戦が続いていた。これを勝利に導いたのがフランコ将軍であった。その後、士官学校の校長になった。

 31年にスペイン革命で、共和国になる(王政の停止)。士官学校が閉鎖になった。

 36年2月、共産党を中心とした人民戦線内閣が成立。フランコ将軍など、王党派の軍人は左遷させられた。

スペイン内戦

 フランコ将軍など人民戦線内閣で左遷させられた王党派の軍人たちは、軍事クーデターを決行した。36年7月のことである。36年10月、フランコ将軍は総統になると宣言した。人民戦線内閣とフランコ将軍ら王党派のスペイン内戦が始まった。  

ドイツ vs ソ連

 フランコ総統は、西半分(大西洋・ポルトガル側)を早々に征服した。しかし、当初の予定通り、全土を制圧することができなかった。ソ連(スターリン)と左派軍人を中心とした国際義勇軍がソ連を支援したからである。

 フランコ総統は、ドイツ(ヒトラー)の支援を受けた。そのため、スペイン内戦は、ソ連とドイツの代理戦争の様相を呈した。

 フランコ総統は、38年4月ようやく全土を制圧した。ここからフランコ総統の独裁が始まる。

ピカソのゲルニカ

 ピカソは、20世紀初頭に活躍した画家である。ピカソの出身はスペインである。彼が描いたゲルニカは、スペイン内戦時にドイツ軍がスペインのゲルニカ(バスク地方)を空襲した時の惨状を描いたものである。

スペイン革命

人民戦線内閣

 30年代、世界恐慌をきっかけにファシズム政党が活発化した。その代表は、ヒトラー総統のナチス・ドイツである。スペインでもファシズム政党が成立した。

 35年7月、ソ連でコミンテルン第7回大会を開催。ファシズム政党と戦いを表明した。これが人民戦線である。

 36年1月、スペイン共産党は社会党などと選挙協力を行う。よく2月の総選挙で共産党ら右派政権に勝利。人民戦線内閣が成立した。

右派内閣

アサーニャ内閣

地方選挙で共和政へ

世界恐慌

ポルトガルのサラザール内閣

世界恐慌で台頭

フランコ総統も師と仰ぐ