17世紀前半のフランス ブルボン朝 17世紀の危機と絶対王政の確立

前回の復習 太陽王ルイ14世の絶対王政

 17世紀後半のフランスは、太陽王ルイ14世の絶対王政の時代である。

 今回のテーマの17世紀前半のフランスは、16世紀末に成立したブルボン朝がどのようにして絶対王政を気づいたかを見ていきます。

 フランス革命以前のフランスは4つの王朝が成立した。

 カロリング朝 → カペー朝 → ヴァロワ朝 → ブルボン朝

17世紀世紀の国際情勢

 日本は、江戸時代初期。徳川家康から3代将軍徳川家光の時代である。

 中国は、明清交代の時代。明王朝が滅亡。満州族の清王朝が成立。北京に入城した。

 ヨーロッパでは、最後にして最後の宗教戦争であるドイツ三十年戦争が起きていた。

ブルボン朝

アンリ4世暗殺

 16世紀末、ユグノー戦争が終結。アンリ14世が即位した。これにより、ブルボン朝が成立した。このとき、ナントの王令をだし、カルヴァン派(プロテスタント)を容認した。

 10年5月、狂信的なカトリック信者の青年によって暗殺された。

ルイ13世と宰相リシュリュー

 10年5月、アンリ14世が暗殺されると、当時8歳のルイ13世が即位した。母は、フィレンツェ(イタリア)の王女である。母が摂政になり、司教のリシュリューが宰相になった。

主な政策は以下の通りである。

  • ユグノーの弾圧
  • 三部会(国会)の停止<フランス革命まで続く>
  • ドイツ三十年戦争に参戦

ルイ14世と宰相マザラン

ルイ14世

 43年、太陽王ルイ14世が即位。わずか5世で即位。母が摂政になった。

 マザランが宰相に就任。政治の実務を担った。さらに、コルベールを財務総監(財務大臣)に任命。重商主義(貿易差額主義)とり、東インド会社を再建。植民地獲得へうごいた。

ウェストファリア条約

 48年、ウェストファリア条約が成立し、全ヨーロッパを巻き込んだドイツ三十年戦争は終結した。

 59年、ピレネー条約でスペインと講和。

フロンドの乱

概要

 フロンドの乱は、48年〜53年の間におきた貴族の反乱である。17世紀前半に王政の強化がはかられた。これにより、反発した貴族たちが起こした反乱である。

背景)17世紀の危機

 フロンドの乱の背景には、17世紀の危機がある。17世紀に入ると、銀山の枯渇が始まり、銀の流入が止まった。これにより、経済成長が鈍化した。

 さらに、40年に寛永の飢饉が起こる。これは世界規模の凶作であった。日本では、島原の乱や由比正雪の乱につながる。ヨーロッパでも戦争や反乱が多発した。

  • 日本 島原の乱、由比正雪の乱
  • 中国 明清交代
  • ドイツ ドイツ三十年戦争
  • イギリス 清教徒革命
  • フランス フロンドの乱
  • スペイン カタルーニャの反乱
  • ロシア  ステンカ=ラージンの反乱

 フランスの貴族の多くは、農村部の領主である。寛永の大飢饉に代表される17世紀なかばの凶作に苦しんでいた。

引き金)ウェストファリア条約

 フランスは、貴族を中心にドイツ三十年戦争に参加していた。48年、ウェストファリア条約で講和した。

 ウェストファリア条約で、ライバルであった神聖ローマ帝国は事実上崩壊した。しかし、フランスは実質的な利益をほとんど得られなかった。

 この結果にフランス貴族はフランス王政への反発を持った。

 ここに、マザランが高等法院(最高裁判所)の人事を実施。これに貴族が反発。これにより、フロンドの乱が始まった。

キーパーソン 軍人コンド公

 フロンドの乱のキーパーソンは、軍人コンド公である。コンド公は、ドイツ三十年戦争で活躍した軍人である。

 フロンドの乱が起こると、宰相マザランは鎮圧をコンド公に依頼した。これにより、49年にフロンドの乱前半戦は鎮圧された。

 しかし、報奨をめぐり、コンド公が宰相マザランらフランス王室と対立。多くの貴族がコンド公を支援。50年にフロンドの乱後半戦が始まる。

 ルイ14世はパリを脱出。宰相マザランもドイツに亡命した。

 しかし、貴族たちとコンド公が対立。コンド公がスペイン王室と結びつくと、貴族たちはフランス王室側についた。これにより、コンド公はパリを脱出。52年、フロンド乱は終結した。

スペインの支援

 フランス王家は、ハプスルブルグ家と対立していた。当時ハプスブルグ家は、スペイン=ハプスルブルグ家とオーストリア=ハプスブルグ家に分かれていた。

 オーストリア=ハプスブルグ家とは、48年のウェストファリア条約で講和した。

 しかし、スペイン=ハプスブルグ家とは、交戦状態が続いてた。そのため、スペインはフロンドの乱を支援していた。一方で、フランスも、スペインで起きていたカタルーニャの反乱を支援していた。

ヴェルサイユ宮殿の建設へ

 幼い国王ルイ14世は、フロンドの乱をうけて、命からがらパリを脱出した。

 ルイ14世は、パリに対して恐怖感を持ち、パリ郊外にヴェルサイユ宮殿を建設し、遷都を計画した。

絶対王政へ

 フロンドの乱に敗れた貴族の発言力は低下。これにより、絶対王政が進んだ。

政治)絶対王政

国王と貴族

三部会(国会)の停止

高等法院

経済)東インド会社と重商主義

東インドの成立

アメリカ

ハイチ

文化)カトリック vs ユグノー

外交

東インド会社設立とカナダ植民

カナダ植民

三十年戦争に介入