1990年代のドイツ 統一ドイツと コール首相

シュレーダー首相と
コソボ紛争

 98年、連邦議会選挙で政権交代。社会民主党(SPD)のシュレーダー首相が誕生した。

 99年、コソボ紛争に介入。ドイツは第二次世界大戦後初めて戦争に参加した。同99年、環境税を導入した。

 コソボ紛争とは、98年セルビア南部のコソボ自治州でおきた独立運土である。コソボは、セルビアの中でもイスラム教徒が多い地域であった。アメリカのクリントン大統領が停戦を呼び掛けるもセルビアは無視。クリントン大統領は人道的な介入としてコソボ空爆に踏み切った。

 では、なぜシュレーダー首相はコソボ空爆に参加したのだろうか。それは、「介入しない罪」という考えからである。第2次世界大戦でナチスドイツはユダヤ人の大量殺戮行った。ドイツ国民はこれを黙認したという反省から、セルビア人の民族浄化作戦に対して行動しないことは罪であると考えていた。これが「介入しない罪」という考え方である。

ボスニア空爆で
コール首相が退陣

 92年に始まったボスニア内戦は泥沼化していた。ボスニアは、セルビアの北部に当たる地域である。セルビアのミロシェビッチ大統領は、ボスニア=ヘルツェゴビナで民族浄化作戦を展開。イスラム教徒の大量殺害を行った。

 95年8月、NATO軍はセルビアへの空爆を実施。11月ボスニア内戦は終結。民族浄化作戦を実施したミロシェビッチ大統領は戦犯として逮捕された。

 セルビアへの空爆によって、コール首相は支持率を落とし、98年の総選挙で退陣した。コール首相は、退陣すると闇献金問題で証人喚問を受けた。

EUの成立

 西ヨーロッパは、フランスとドイツを中心としたECによって経済統合が進んでいた。そのような中でフランスのミッテラン大統領は、経済だけでなく政治的にもヨーロッパを統合しようと提案した。これがEU(欧州連合)である。

 ドイツのコール首相はこの政策を強く支持した。92年、マーストリヒト条約が採択。翌93年3月、各国の批准が終わりマーストリヒト条約は施行。EUが成立した。

 92年9月、ドイツマルクが急騰。統一通貨ユーロの導入が危ぶまれるほど混乱した。一方で高騰したドイツマルクはドイツ各地への投資に回った。これにより地方間の格差は瞬く間に是正された。特にベルリンの再開発は急速に進んだ。

ユーゴスラヴィア解体

 91年、ユーゴスラヴィアが解体した。1月に北部のスロヴェニアとクロアチアが独立を宣言。ECの仲介によって、独立者は承認された。これを主導したのがドイツのコール首相であった。11月には南部のマケドニアが独立した。

 翌92年3月、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言すると、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国内のセルビア人が反発。独立反対派のセルビア系住民と、独立賛成派のイスラム教徒とクロアチア人でだ内戦が勃発した。

統一ドイツの成立

 90年10月3日、東西ドイツは統一された。具体的には、西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一ドイツが成立した。統一ドイツ初代首相は、西ドイツのコール首相が担った。ドイツの首都はかつての都、ベルリンに戻った。