【1910年代✕イラン】ペルシャの苦闘:大戦の波濤と「主権」をめぐる模索

砂塵舞うテヘラン。

豪華なゴレスターン宮殿の窓から見えるのは、

かつての栄光の残り香でしょうか。

それとも、刻一刻と押し寄せる

列強たちの影でしょうか――。

皆さん、こんにちは。

歴史ナビゲーターです。

今回は、第一次世界大戦という

巨大な激動に飲み込まれた20世紀初頭の

「ペルシャ(現在のイラン)」を深掘りします。

「イランの歴史を簡単に知りたい」という方へ。

現代の中東情勢を読み解くためにも、

この時代の複雑なドラマを知ることは、

実はとても大切な一歩なんです。

💡 この記事のポイント

  • 「中立」の限界大戦下で中立を宣言するも、地政学的な理由で列強の戦場になりました。
  • 社会を襲った悲劇ロシア革命による勢力図の変化と、壊滅的な大飢饉が人々を苦しめました。
  • 自立への強い意志外国による支配の危機を、国民のナショナリズムが押し戻しました。

1. 宣言された「中立」と、冷徹な現実

1914年、第一次世界大戦が勃発。

当時の「カジャール朝(イランの王朝)」は、

すぐに「うちは中立です!」と宣言しました。

しかし、現実は甘くありませんでした。

インドへのルートを守りたいイギリスと、

南へと領土を広げたいロシア帝国。

この二つの大国にとって、

ペルシャは喉から手が出るほど欲しい

「戦略の要」だったのです。

国内も混乱していました。

  • 親同盟国派: ドイツやオスマーン帝国に期待
  • 親協商国派: イギリスやロシアの影響力を重視

この国論の分裂を突かれ、

イギリス、ロシア、オスマーン帝国の軍が

次々と領内に侵入してきます。

戦っていないはずの国が、

列強たちの都合で「戦場」にされてしまった。

これが当時の悲劇的な現実でした。

2. ロシア革命の衝撃と「地獄の大飢饉」

1917年、北の隣国ロシアで革命が起こり、

巨大な帝国(ロマノフ朝)が崩壊します。

新しく誕生したソ連政権は、

「これまでの特権は捨てる!」と宣言し、

ペルシャから軍を引きました。

一見、良いニュースに聞こえますが、

これが別の火種を生みます。

ライバルがいなくなったことで、

今度はイギリスがペルシャ全土を

独占的に支配しようと動き出したのです。

さらに、追い打ちをかけたのが「大飢饉」です。

(1917〜1919年)

干ばつや病気の流行に加え、

各国軍による食料の奪い合い。

そして、政府の対策不足も重なり、

人口の相当数が失われるという

壊滅的な被害が出たと言われています。

3. 「イギリスの支配はお断り!」主権をかけた攻防

ロシアが去った隙に、イギリスは

1919年、ある協定を結ぼうとします。

(アングロ・ペルシャン協定)

これは、イギリスが軍事や財政の

アドバイザーを送り込むという内容でした。

しかし、ペルシャの人々は激怒します。

「これは事実上の植民地化じゃないか!」

すでに政治意識を高めていた知識人や商人、

各地の部族たちは、一斉にデモや

反対運動を繰り広げました。

「自分たちの国は、自分たちで決める」

この国民の強い拒絶と、

独占を嫌った国際社会の圧力により、

協定はついに廃案へと追い込まれました。

4. 時代の転換点:パフラヴィー朝の誕生へ

国家がバラバラになりかけた時、

一人の軍人が頭角を現します。

それが、ロシア式の精鋭部隊を率いていた

「レザー・ハーン」です。

1921年、彼はクーデターを起こして実権を掌握。

1925年にはカジャール朝に終止符を打ち、

自ら「パフラヴィー朝」を興しました。

同時期のトルコで「ケマル・アタテュルク」が

近代国家を築いたのと似ています。

レザー・ハーンもまた、外国の介入を退け、

強権的ながらも「上からの近代化」を

猛スピードで進めていくことになります。

📚 歴史キーワード解説

  • カジャール朝(1796–1925)トルコ系部族が建てた王朝。近代化を試みるも、列強の圧力に苦しみました。
  • 英露協商(1907年)イギリスとロシアが勝手にペルシャの勢力圏を分けた秘密の約束です。
  • 石油の発見(1908年)これが後の国際紛争の大きな火種となり、イランの運命を左右することになります。

🎨 当時の文化と社会

  • ペルシャ絨毯のブーム19世紀末から欧米で大人気に。国の貴重な外貨獲得の手段となりました。
  • 立憲革命の誇り「憲法に基づいた政治を!」と戦った記憶が、1910年代の国民的な抵抗の柱となりました。

📍 歴史を感じるスポット

  • ゴレスターン宮殿(テヘラン)ユネスコ世界遺産。東洋と西洋が混ざり合った、豪華絢爛な建築美。
  • テヘラン中央バザールかつての反対運動の発信地。今もイラン経済の熱気を感じられる場所です。

【参考文献・出典】

  • 『新版 世界各国史9 西アジア史』佐藤次高編(山川出版社)
  • 『イラン現代史:王政から共和国へ』阿部正邦(中公新書)
  • 『第一次世界大戦と中東再編』宮田律(NHKブックス)

いかがでしたか?

「中立」という言葉の裏側で、

大国の利害に翻弄されながらも、

必死に主権を守り抜こうとした1910年代のペルシャ。

この時代の苦い経験が、

今のイランの「誇り高いアイデンティティ」に

繋がっているのかもしれません。

歴史を知ると、ニュースの見え方も変わりますね。

それでは、次回の歴史探訪もお楽しみに!

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