17世紀後半のイタリア オスマン帝国とヴェネツィア

前回の復習 18世紀前半のイタリア

 18世紀初頭は、フランス国王ルイ14世の全盛期である。その始まりがスペイン継承戦争であった。

 スペイン継承戦争は、イタリアにも影響を与えた。スペインブルボン家が成立。南イタリアに両シチリア王国が成立した。

ヴェネツィア

水の都

 ヴェネツィアは、イタリア北東部の港町である。アドリア海に浮かぶ島を中心に都市共和国として発展した。

異民族の侵入

 ヴェネツィアは、フン族やランゴバルド族などの異民族から身を守るため、島へ避難したことで都市が形成され始めた。

東方貿易で発展

 11世紀ごろから、東方貿易を開始。ヴェネツィアは大きく発展していた。

 13世紀初頭の第四回十字軍以降、ヴェネツィアは東方貿易を独占していく。14世紀には最盛期を迎える。 

衰退期

 しかし、ヴェネツィアの繁栄は長くは続かなかった。16世紀に入るとオスマン帝国がエジプトを征服。東方貿易は次第に衰退していった。プレヴェザの海戦でアドリア海の制海権を失った。

第二次ウィーン包囲

カルロヴィッツ条約

 99年、神聖ローマ帝国は、オスマン帝国と講和した。これがカルロヴィッツ条約である。

 この条約で、オスマン帝国は東欧のハンガリーやルーマニアを獲得した。神聖同盟に参加したポーランドやチュニジアも領土を拡大した。

 ロシアも領土を拡大。黒海北部のアゾフへ進出した。この後、黒海をめぐりロシアとオスマン帝国は黒海の制海権をめぐり争い続けることになる。

神聖同盟

 84年、神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇の仲介で神聖同盟を締結。この同盟には、ポーランドのほか、ロシアやヴェネツィアも参加した。

 神聖ローマ帝国は、この神聖同盟を背景に、オスマン帝国へ反攻に向かった。

第2次ウィーン包囲

 83年、オスマン帝国はウィーンへ侵攻した。神聖ローマ皇帝はバイエルンに避難。7月、オスマン帝国軍はウィーンを包囲。しかし、強固な城壁で陥落することができなかった。9月、ポーランドから援軍が到着。オスマン帝国軍は撤退した。