前回の復習 1970年代のイタリア
70年代、ヨーロッパは低成長期に入った。ニクソンショックやドルショックで高度成長が終了した。ECは、イギリスの加盟をみとめた。さらにサミットが始まったのもこの時期である。
さて、今回は、ECの成立過程を見ていきます。
ECとは
EC(ヨーロッパ共同体)とは、EU(ヨーロッパ連合)の前身組織である。最初の加盟国は、イタリア、フランス、西ドイツとベネルクス3国の6か国である。
50年代に結成されたECSC(ヨーロッパ石炭鉄鉱共同体)、ECC(ヨーロッパ経済共同体)、EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)が統合されてできた組織である。
ECの結成
ECは67年に結成された。その背景はド・ゴール外交にある。ド・ゴールは60年に登場したフランスの大統領である。ド・ゴールは米英と一定の距離を保つことで国際的発言力を高めようとした。
イギリスは何故EECに加盟できなかったのか?
60年代、ヨーロッパには2つの経済圏が存在した。イギリスを中心としたEFTAとフランスを中心としたEECである。EECとEFTAには大きな経済格差があった。
63年にイギリスはEECへの加盟を申請した。しかし、当時のフランスはド・ゴール大統領が中立外交を展開していた。そのため、親米のイギリスの参加を拒否した。そのため、イギリスのEEC加盟は成立しなかった。
物語が動く60年
ローマオリンピック
60年、イタリアの戦後復興の象徴としてローマオリンピックが開催された。ちなみに、その次の64年が東京オリンピックである。西ドイツで開催されたのは、そのさらに8年後の72年のミュンヘンオリンピックである。
ローマオリンピックでは、エチオピアのアベベ選手がマラソン競技で優勝した。裸足で走ったことで有名になった。イタリアは1930年代後半にエチオピアを植民地にしていた。そのため、エチオピアの人々はかつての宗主国で勝利したことを喜んだ。
イギリスがEFTA発足
60年、ヨーロッパでは大きな出来事がさらにあった。イギリスが、フランス主導のEEC(ヨーロッパ経済共同体)に対抗してEFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)を結成した。
アフリカの年とソマリア
60年、世界史において最大の出来事はアフリカの年である。フランスのド・ゴール大統領はアフリカ6か国の独立を承認した。
イタリアも、アフリカの年の影響を受けた。イタリアはイギリスとともに東アフリカのソマリアの独立を認めた。
ソマリアは、東アフリカ北部にある国で紅海とインド洋に面した国である。紅海はスエズ運河の出口にあるため海上交通において重要な箇所である。そのため、ソマリアの重要性は今でも高い。独立前は、紅海沿岸の北部はイギリスが、インド洋沿岸の南部はイタリアが植民地にしていた。
ソマリアは、90年代から2010年代まで内戦が起き、多くの戦争難民を出した。また無政府状態になったため多くの漁師が海賊となり紅海を通る船を襲った。