1970年代のイタリア EUの拡大とサミット

前回の復習 1980年代前半のイタリア

80年代、ロッジP2事件でキリスト教民主党の長期政権が崩壊した。第二次マフィア事件をへて社会党のクラクシ政権が成立するまでを見ていきました。

 今回は、低成長時代に入る70年代のイタリアを見ていきます。ここでは、イタリア政治よりもヨーロッパ全体の動向が中心になります。

オイルショックとサミット

オイルショック

70年代、オイルショックやベトナム戦争の泥沼化でアメリカや日本、西ヨーロッパは低成長期に入っていった。

サミット開催

 アメリカは非公式にフランスイギリス西ドイツの財務大臣とワシントンで低成長期の打開策について会談を行っていた。

 75年、フランスのジスカールデスタン大統領は、アメリカ、イギリス、西ドイツに日本を加えた5か国の首脳で会合を開くことを提案した。これが現在もつづくサミット(先進国首脳会談)である。初回は提案国であるフランスで開かれた。

イタリアのものいい

 これに異議を唱えたのがイタリアである。イタリアのアルド・モロ首相はフランスに乗り込んで参加した。これによりG5はG6としてスタートした。

G5からG7へ 

 翌年、ヨーロッパの参加国が3分の2になったので調整としてカナダの首相が参加することになった。これによりG7が成立した。

イギリスのEC加盟

60年代のEC

 ECは、EUの前身組織で、67年に結成された。当時の加盟国は、イタリア、フランス西ドイツとベネルクス3か国の6か国である。当時イギリスは、フランスに対抗する形でEFTAを結成していた。

 イギリスは、ECの加盟を希望していた。しかし、フランスのド・ゴール大統領の反対で加盟することができなかった。