2000年代のイタリア ユーロ導入とEUの拡大

前回の復習 2010年代のイタリア

ギリシャ通貨危機の影響で、ヨーロッパ各国は金融不況になった。ユーロ導入によって、イタリア政府は思うように景気対策を打つことができなかった。そのため、反EUをかかげる「五つの星運動」が躍進した。

 さて、今回は、反EUの要因となったギリシャ通貨危機とユーロの導入についてみていきます。

リーマンショックと
ギリシャ通貨危機

ギリシャ通貨危機とは

 09年、ギリシャで政権交代が起こった。このとき、前政権が粉飾決算をしていたことが判明。ギリシャをはじめとした財政赤字が多い国の国債が暴落した。

 当時、ヨーロッパの銀行は多くの国債を保有していた。そのため、国債の暴落によって金融危機が発生した。余談だが、この混乱を解決したのが11年に欧州中央銀行総裁に就いたマリオ氏である。現在のイタリア首相である。

救済と反EU

 ヨーロッパの金融界は、EUに救済を求めた。しかし、EUは簡単にはできなかった。ヨーロッパ市民の反発である。特にドイツは強い反発をした。

 ドイツ国民は、厳しい緊縮財政をたえて第一次世界大戦の賠償金の支払いをまもなく終えようとしていた頃であった。なお、ドイツが賠償金の支払いを完了したのは10年のことであった。

 そのため、EUは、救済のために厳しい緊縮財政をギリシャに求めた。

ヨーロッパの金融界

 では、当時のヨーロッパの銀行はどのような状況であったのであろうか。

 08年のリーマンショックの影響でサブプライムローンなどのリスク性の高い資産を売却。リスクの低い国債へシフトさせていた。その中でも人気が高かったのがイタリアやギリシャなどの高金利の国債であった。

 ギリシャがデフォルト(国債の支払い停止)を行えば、ヨーロッパの銀行は大きな損失を計上することになる。

 余談だが、デフォルトとはどのような意味であろうか。国債におけるデフォルトととは、国債の元本や利払いが遅延することである。デフォルトを起こしたことで国家が亡くなるわけではない。現代、デフォルトを起こしている国債は、すべてギリシャ国債を含めてすべて外国債である。

リーマンショック

 では、ギリシャの通貨危機を引き起こしたリーマンショックとはどのような事件であったのであろうか。

 アメリカの大手投資銀行であるリーマンブラザーズが経営破綻した事件である。これより、世界中の金融がストップした。深刻な不況になった。

 多くの金融機関は、サブプライムローンのようなリスクの高い資産を売却。資産運用の中心を国債へ移した。特にヨーロッパの金融機関は、金利の高いイタリアやギリシャの国債を大量に保有した。

 この不況は、翌09年に多くの国の政権交代を引き起こした。日本では、政権交代によって民主党政権が成立した。ギリシャもこの時に政権交代が行われ、これをきっかけにギリシャ通貨危機が始まる。

トリノ冬季オリンピック

 06年、イタリアのトリノで冬季オリンピックが開催された。フィギュアスケートの荒川静香さんがイナバウアーで金メダルを取ったオリンピックである。

 トリノは、イタリア北西部の町である。アルプス山脈のふもとで、フランスやスイスの国境に近い。数学者のラグランジュ氏や初代イタリア王国首相のカブール氏の出身地でもある。

EUの東欧拡大

EUの拡大

 00年代に入ると、民主化した東欧諸国がEUに加盟した。04年5月には、チェコやポーランドなど10か国が加盟。07年1月に、バルカン半島北西部のルーマニアとブルガリアが加盟。11年に批准が遅れたクロアチアが加盟した。これにより、EUは15か国体制から28か国体制(現在は、イギリスの離脱により27か国体制)になった。

EU憲法、批准できず

 04年10月、ローマでEU憲法の調印式がEU加盟25か国で行われた。しかし、翌05年5月、フランスが国民投票でEU憲法を否決。さらに翌6月、オランダも否決。これによりEU憲法は成立しなかった。

 EUの拡大によって、先進国に出稼ぎ労働者流入した。彼らは中間層の仕事を奪っていった。さらに、EUによって、自国の文化が失われる不安を感じるようになった。 

 07年、リスボン条約を締結。各国の主権を否定する条項を削除し、EU大統領やEU議会の設置を改めて定めた。

ユーロの導入

ユーロとは

 通常、海外旅行する場合、日本円から現地の通貨に両替を行います。アメリカへ行く場合はドルに、韓国へ行く場合にはウォンに両替を行います。

 しかし、EUの間の場合、統一通貨ユーロが導入されているため両替をしなくても問題ない。

ユーロの導入

 90年代まで、ヨーロッパ各国は別々の通貨を利用ししていた。イタリアはリラ、フランスはフラン、ドイツはマルクである。

 92年のマーストリヒト条約でユーロの導入が決まる。99年には、貿易の決済や銀行間取引で利用開始。02年、実際に通貨や紙幣が発行され、一般でも利用されるようになった。

イギリスなどは不参加

 イギリスは、自国通貨ポンドに強いプライドをもっている。そのため、EUへの参加を見合わせた。

 スウェーデンとデンマークは、国民投票でユーロへの参加を否決した。この2か国は高い税金と高福祉の国である。東欧諸国の参加によって福祉水準の低下を嫌った。

ユーロ導入のメリット

 当初のユーロ導入の目的は、南欧諸国の投資の促進であった。しかし、97年のアジア通貨危機で新興国への投資は懸念されるようになった。そのため、この効果はあまり享受できなかった。

 一番のメリットは、観光業の促進である。イタリアなどの南欧諸国は、観光業が中心である。外国人旅行者が増加した。

ユーロ導入のデメリット

 ユーロ導入によって、独自の景気対策をとることができなくなた。まず、ユーロ導入によって、金融政策や為替政策はできなくなった。さらに、ユーロ導入の条件に国債の発行条件が付いている。そのため、減税や公共事業などの財政出動による景気対策にも制限がついた。