文化 トレンディドラマと アムラー
90年代初頭はバブルの影響を受けた文化であった。ジュリアナ東京やティラミスブームが広がった。月9に象徴されるトレンディドラマ(東京ラブストーリーなどの最新トレンドを取り入れた恋愛ドラマ)も次々作られる。宮沢りえなどの女優が活躍した。
93年バブルが崩壊すると、小室ファミリーなどの女性歌手の音楽ブームが起こる。アムラーブームが起こったのもこの時代。80年代にNTT民営化によって通信面を大変革が起きた。ポケベルやPHSなどの携帯電話の前身となる通信機器が登場する。Windows95の登場によってパソコンの普及も進んだが、通信速度が今ほど早くないため、まだインターネットの普及までは言っていない。
98年2月、長野オリンピックを開催。
天災と社会 カルト宗教、オウム真理教
90年11月、長崎県で雲仙普賢岳が噴火。翌91年6月には大火砕流が発生。
90年2月、衆議院選挙にオウム真理教幹部が真理党として出馬。全員落選。これにより、オウム真理教はテロ活動による国家転覆計画へ移行する。サリンなどの生物兵器の開発もこの頃から始まった。また、オウム真理教施設の建設を巡り、地域住民とのトラブルが続出する。90年の年末には、国土法違反でオウム真理教幹部が逮捕される。
91年、オウム真理教は政策をシフト。麻原代表は、海外へ訪問したり、TVへの出演を繰り返す。
93年5月、皇太子(元今上天皇)がご成婚。
7月、北海道南西沖地震。
8月、オウム真理教がサリンの合成に成功。
翌94年6月、松本サリン事件が発生。第一発見者の河野氏が容疑者として上がった。しかし、実際は、宗教施設の建設を反対されたオウム真理教が実際には行った。
10月、北海道東方沖地震。
翌95年1月、読売新聞が上九一色村のオウム真理教施設で、サリン製造の痕跡があったことをスクープ。
同1月、阪神・淡路大震災が起こる。
3月、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こす。警察は教団施設を家宅捜査。幹部が次々逮捕される。5月に教祖の麻原代表も逮捕される。
99年4月、東海村JCO臨界事故。
経済 バブル経済の崩壊と失われた10年
概要
89年に最高値を付けた日経平均株価は、90年に入ると急遽下落を始めた。そんな中、大蔵省(のちの財務省、金融庁)と日本銀行は、バブルの狂乱物価を抑えるため金融の引き締めを行った。株価下落が深刻化すると証券会社の損失補てん事件が明るみに出た。一方で、金融引き締めにより地価が下落し始めると、銀行は不良債権(回収が難しい貸付金)が増え始める。90年代半ば以降になると、企業は人員整理をはじめ、リストラをおこない、新卒採用を控えるようになった。そのため、90年代半ば以降を就職氷河期と呼ばれる。一方で80年代後半から90年代初頭に入社した人をバブル入社組と呼ぶこともある。97年には、大手金融機関の破綻が発生した。(山一証券や北海道拓殖銀行、長銀など)
バブル崩壊
80年代後半の日本は、好景気に沸いた。しかし、これは実体経済をともなうものではなかった。日銀と大蔵省(現、財務省)が金融を緩和。市場に大量のお金を供給した。これらのお金は、不動産投資や株式投資に流れた。この結果、地価と株価は急騰した。株価は、89年12月に4万円近くまで高騰した。
この好景気の中で、89年4月に消費税が導入された。
90年代に入ると、日本政府はバブル景気を抑制しようとした。90年3月、銀行を監督する大蔵省は、総量規制を実施した。これは、銀行に対して不動産用の融資を制限した。これにより、多くの投資家は不動産を購入する資金を得ることができなくなり、不動産価格が急落した。
90年に、株価が下落を始める。91年、景気が交代。92年、地価が下落。実質経済成長率は1.3%担った。93年には、実質経済成長率は1%を割った。
企業は、人員削減に向かった。最初に実施したのが、新卒採用の絞り込みである。この時期に大学を卒業した世代のことを就職氷河期世代という。
さらに、リストラを実施。失業した人々は住宅ローンが払えなくなり、それらの債権が不良債権になった。
平成の米騒動とタイ米
93年、冷夏により記録的な不作に見舞われる。細川政権は、米の緊急輸入を実施した。
翌94年、GATTウルグアイ・ラウンドが締結。日本は、米の輸入を開始した。
不良債権
94年8月、ジュリアナ東京が閉店。
95年11月、Windows95日本語版が発売。
このころ、金融機関の不良債権処理が問題になった。債権とは、借金の証書のことである。銀行は、住宅ローンや企業への貸付を行い、その利息が売上になる。当時は、経営者の不動産を担保に取り、返済ができなくなると不動産を売却して回収にあたった。
不況による売上減少やリストラによる失業によって、借金が返せなくなる人が急増。さらに、担保である不動産も不動産価格の下落で、回収が困難になった。この回収不能になった債券のことを不良債権という。
このころから、住専問題が話題になる。住宅ローンを専門に扱う金融機関である。住宅ローンは、不動産を担保に個人に融資をするローンである。返済者が借金を返せなくなった場合は、不動産を売却して返済できない分する仕組みである。この不動産(資産)のことを担保という。
80年代に入ると、銀行が住宅ローンの取り扱いを開始。住宅ローンは過当競争になった。住専は、投資目的に不動産を買う人に融資するようになった。地価が下落すると、彼らの多くは自己破産。住専は差額の不良債権を抱えるようになった。
橋本首相と日本版金融ビックバン
96年1月、橋本政権が成立。住専問題をうけて、金融ビックバンを実施。
4月、消費税を3%から5%に増税。
11月、金融ビックバンをうけて、大手金融機関が破綻した。三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券がその例である。
小渕首相、株よあがれ
98年7月、小渕政権が成立。
大手金融機関に公的資金を投入。日本長期信用銀行と日本債券信用銀行は国有化された。
10月、債権管理回収業に関する特別措置法成立。
ITバブルへ
95年にWindows95が発売。ITの世界が身近になった。NTTの民営化によって、通信コストも徐々に低下を始めた。
このような中で、ITを使って起業する若手企業家も誕生した。低金利で苦しむ投資家たちは、彼らに出資するようになった。
99年、日本でもITバブルが起こる。97年11月にヤフーが店頭市場に上場。00年4月に楽天とオン・ザ・エッジ(のちのライブドア)が上場。
低価格志向
雇用への不安から、財布の紐がしまっていった時代である。
この頃、アジア通貨危機の影響で円高になっていた。ソ連の崩壊により、中国やベトナムなどの旧社会主義国での生産が可能になった。これらの国は人件費が安い。この時期に、これらの地域で生産された
政治 55年体制の崩壊
国内では、オウム真理教の毒ガステロ事件や阪神淡路大震災など不幸な事件が相次いだ。政治面では不況と政治不信(リクルート事件)の影響で55年から続いた自民党政治が終焉し、93年細川連立政権が成立。しかし、95年には、自民党社会党の村山連立政権が成立する。以後自民党を中心とした連立政権が続く。
前史)竹下政権とリクルート事件
89年、竹下政権が成立。消費税導入や牛肉オレンジ自由化問題で批判を浴びていた。そのような中で発覚したのが政財界の癒着を示すリクルート事件であった。竹下首相は退陣。女性問題で宇野首相が短命で退陣。
その後に成立したのが、若き海部首相であった。
若き海部首相の悩み
海部首相は、クリーン三木の後継者である。陰の実力者である竹下元首相は、幹事長に小沢一郎を指名した。
湾岸戦争では、自衛隊派遣をせず、多額の資金提供にとどめた。これにより、国際的に非難を浴びた。91年4月、自衛隊をペルシャ湾に派遣。
93年 宮沢政権 PKO協力法
海部首相は、政治改革を実施しようとした。しかし、自民党の長老たちは、この動きに反発。91年11月、海部首相は解散ができず、総辞職した。
次の首相は、宮沢首相である。大平派の後継者である。
湾岸戦争の反省を受けて、翌92年6月に、PKO協力法が成立。自衛隊がPKOとして海外に派遣することが可能になった。9月には、カンボジアに派遣された。
10月、新たな汚職事件が発覚した。東京佐川急便事件である。竹下派の重鎮である金丸議員が逮捕された。
竹下氏・金丸氏の後継争いで、竹下派は分裂した。竹下派閥の後継に、小渕氏を指名。これに前幹事長の小沢氏が反発。竹下派は、小渕・橋本派閥と羽田・小沢派閥に分裂した。
翌93年8月、河野談話。
93年8月 総選挙で55年体制が崩壊
社会党など野党が内閣不信任案を提出すると、羽田・小沢派が賛成に回り、内閣不信任案が成立。宮沢首相は解散総選挙に踏み切った。
衆議院が解散させると、鳩山由紀夫氏や石破茂氏などの自民党の若手グループが、新党さきがけを結成。前回の参議院選挙で躍進した細川氏の日本新党と協力関係を結んだ。
そして、羽田氏と小沢氏らも自民党を離党。新生党を結成した。
93年8月、自民党は過半数割れ。新生党は躍進したものの、社会党は大敗。新生党と社会党ら野党をあわせても過半数を取ることができなった。ここでキャスティングボードを握ったのが、日本新党と新党さきがけである。日本新党と新党さきがけは、自民党との連立政権に入る可能性が十二分にあった。小沢氏は、起死回生の策として、総理大臣の椅子を提供。
93年8月、非自民非共産の8党派の連立政権が成立した。首相になったのは、日本新党の細川党首である。参加したのは、社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合である。
細川政権と政治改革
94年、海部首相時代からの課題であった政治改革関連法が成立した。内容は以下のとおりである。
- 衆議院の選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制(2025年現在の制度)に変更
- 政治資金形成法成立
- 政党助成金を導入
その後、細川氏は、佐川急便から資金提供を受けた疑惑が上がり、辞任。
羽田政権 少数与党の苦悩
新生党党首の羽田氏が次の首相に就任。ここで、小沢氏の独裁に、社会党と新党さきがけが反発。連立を離脱した。
小沢氏は、海部元首相などを自民党から引き抜き、多数派工作を画策が失敗。
予算が成立すると、羽田首相は辞任。新生党の小沢氏は、自民党から引き抜いた海部前首相を擁立。一方、自民党に残った小渕氏らは、長年の宿敵だった社会党との大連立を実施。社会党の村山委員長を
村山政権 戦後50年の節目として
94年6月、村山政権が成立した。この月は、松本サリン事件が発生している。
同95年7月、参議院選挙で社会党は大敗。
翌8月、戦後50年を機に村山談話が発表される。
翌9月、参議院選挙の敗北を受けて、自民党総裁選を実施。竹下派の橋本氏とYKKの小泉氏の一騎打ち。橋本氏が勝利した。
96年1月、村山首相が辞任。橋本政権が成立する。
橋本政権 行政改革と金融ビックバン
96年9月、橋本首相は衆議院を解散。新党さきがけと社会党の若手メンバーは民主党を結党した。主要メンバーは、厚生大臣で活躍した菅直人氏や、鳩山由紀夫氏などが参加した。
10月、衆議院総選挙。橋本自民党は勝利。翌11月、自民党単独内閣を成立させた。厚生大臣の菅直人から引き継いだのが小泉純一郎氏であった。
橋本氏は、行政改革を実施。省庁再編を実施し、官僚の発言力を弱め、内閣の権限を強化した。これが施行されたのが小泉首相の時代である。小泉首相の求心力の背景には橋本行革がある。
外交では、日米安保の強化の共同声明を出した。
96年末、新進党から羽田元首相らが離党。太陽の党を結党。
97年4月、消費税を3%から5%に増税。
97年6月、新進党から細川元首相らが離党。フロムファイブを結党。これを受けて、小沢一郎党首は自民党との大連立構想を掲げる。
97年12月、新進党党首選で、小沢党首が再選。これに、反小沢派が離党。新進党は、6つの政党に分裂した。小沢一郎率いる自由党。反小沢派の国民の声と改革クラブ。旧民社党系の新党友愛。旧公明党の新党平和と黎明クラブである。旧公明党系はその後合流し、公明党を復活させている。
98年4月、新進党から離脱した羽田元首相(太陽の党)や細川元首相(フロムファイブ)、反小沢派の国民の声と改革クラブ、民社党系の新党友愛が菅直人の民主党に合流した。新進党に変わる野党第1党が成立した。
98年7月、参議院選挙で大敗。橋本首相は総辞職した。敗因は、3つある。消費税の増税。アジア通貨危機による深刻な不況。そして、住専問題の公的資金(税金)の投入である。
小渕政権 凡人と冷めたピザ
98年9月、参院選の敗北を受けて総裁選挙が行われた。主流派の竹下派からは小渕首相、非主流派の三塚派(旧福田派)からは、引き続き小泉氏が出馬した。しかし、竹下派の保守陣営が小沢自由党との連携を模索した。彼らは梶山氏を出馬させた。小渕氏、梶山氏、小泉氏の三つ巴の構想になった。田中眞紀子氏は、3人の候補を、「凡人、軍人、変人」と評した。梶山陣営は、三塚派から亀井氏らを引き抜いたが、これにより、江藤亀井派が成立した。この総裁選が、01年の小泉政権に大きな影響を与えた。
小渕政権は、国会運営に苦慮した。7月の参院選で敗北。野党が過半数を取っていた。首班指名では、衆議院では小渕氏が選出されたが、参議院では、民主党の菅直人が選出されている。
10月、債権管理回収業に関する特別措置法が成立。
11月、小渕政権は、民主党に合流しなかった小沢自由党と公明党で自自公連立政権を樹立した。このとき、公明党は、地域振興券の発行を条件に出していた。
12月、NPO法成立。
翌99年8月、国旗国歌法が成立。
00年4月、介護保険が始まる。
その後、小渕氏と小沢氏が対立。00年4月、小沢党首は連立離脱を小渕首相に伝える。その夜、小渕首相は脳こうそくで倒れ、帰らぬ人となった。そして、自民党の重鎮が集まって後継者を指名した。森首相が誕生した。森派は、福田元首相、安倍晋太郎の系譜の派閥である。小泉首相、安倍首相、福田首相らが所属していた。
外交 天皇陛下訪中
世界では、湾岸戦争で始まった。日本政府はその対応の遅れで世界的に批判を浴びた。一方で89年ベルリンの壁崩壊をきっかけに始まった東欧の民主化ドミノは、ソ連まで達し、ベルリンの壁崩壊から2年後の91年ソ連が解体した。
中国は、89年の天安門事件で国際的に孤立。そのため、アジア各国との国交正常化交渉を始めた。そのような中、即位直後の天皇陛下が訪中を行った。
ヨーロッパでは92年に、EU結成に向けた条約(マーストリヒト条約)を92年に締結した。