8世紀の日本 奈良時代 国際色豊かな奈良

遣唐使

 日本の7世紀は奈良時代にあたる。
 当時の中国は、唐の時代である。唐自体は国際色豊かでペルシアなどの影響を色濃く受けていた。
 日本も遣唐使を頻繁に派遣し、唐の影響をかなり受けていた。唐の長安を見習って奈良に平城京をつくり遷都した。奈良時代にできた大仏の開眼供養もインド人の僧が行った。中国同様の法治国家体制律令制を採用した。一方、高句麗の末裔(女真族)が中国東北部渤海を建国。日本と交易を行っていた。7世紀にイスラム教国に滅ぼされたペルシアからは、多くの難民が唐へ逃げてきた。その一部は奈良にも来ている。

仏教の時代

 宗教的には、唐の則天武后の影響で仏教を厚く保護し、全国各地に国分寺を建て、奈良には大仏を造った。文化面でも、中国の慣習にならい歴史書が編纂された古事記日本書紀万葉集が編纂されたのもこの時代である。ただ、この時代の書籍はすべて漢字で、ひらがな、カタカナはまだない。また、この時代、イスラム教国(ウマイヤ朝アッバース朝)が拡大しており、奈良東大寺正倉院からは、ヨーロッパやペルシアの宝物が治められた。

均田制の崩壊

 税制面では、天智天皇の時代に始まった均田制は、国民に配布する土地が少なくなった。当初は、国家が開墾を進めたが思うように進まず、墾田永年私財法で田畑の私有権をあたえることで民間で開墾を進めた。これが荘園の始まりである。地方は、都から国司が派遣され、地方の豪族を利用して統治をおこなった。政治体制は、皇族と藤原氏が主導権争いを行っていた。

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