1840年代の朝鮮半島 アヘン戦争と東アジア

アヘン戦争

アヘン戦争とは

 1840年代は、東アジア全体の転換点になった。それが40年に始まったアヘン戦争である。

 清王朝は、大砲を積んだ蒸気船をもつイギリス海軍に大敗。42年に南京条約を締結した。

南京条約

 南京条約で、清王朝はイギリスに香港島を割譲した。また、上海など中国南部の沿海部5港を開港した。

 翌43年、領事裁判権(中国国内の外国人犯罪は外国人が裁く)。協定関税制(関税は2国間の協議で決定)。最恵国待遇(清王朝がイギリス以外の国と優位な条約を締結した場合、自動的にイギリスにも適用される。)を締結した。

 翌44年、アメリカとフランスも清王朝と条約を締結した。

アヘン戦争後の東アジア

 清王朝は、アヘン戦争の多額の賠償金のため、重税を課した。これにより各地で反乱が勃発した。この反乱は50年代のタイへ天国の乱に続く。

 一方、日本では、天保の大飢饉をうけて、水野忠邦が財政改革を行っていた。江戸三大改革の一つ天保の改革である。30年代の日本は異国船打払令など強硬外交を行っていた。しかし、アヘン戦争の結果を受けて異国船打払令の緩和を行った。

この頃の朝鮮は

 19世紀前半、朝鮮は安東金氏の外戚政治が行われた。朝鮮の高官は儒教を重んじていた。そのため、カトリック教徒(キリスト教徒)の弾圧がたびたび行われていた。

 そのような中、イギリスやフランスは朝鮮に対して軍艦で威圧を行っていた。