5世紀のシリア・パレスチナ 東ローマ帝国の属州としてのシリア

前回の復習 6世紀のシリア・パレスチナ

 6世紀のシリアは、東ローマ帝国の属州であった。サーサーン朝(イラン)との戦争が行われ、その前線基地になっていた。

 6世紀前半は、東ローマ帝国とサーサーン朝の間で和平が成立。東ローマ帝国は地中海を再統一した。

 しかし、その後、和平条約が破棄。サーサーン朝はシリアへ侵攻。これにより、シリアは荒廃した。

5世紀の国際情勢

 5世紀(401年ー500年)の日本は、古墳時代。巨大な前方後円墳が日本各地に作られた。この時期に、大和政権が日本を統一されたとされている。

 中国では、魏晋南北朝の戦乱期。中央アジアでは、エフタルがイランやインドへ侵攻した。ヨーロッパでは、アジア系騎馬民族のフン族が侵入していた。

ユダヤ人

 ユダヤ人は、紀元前からシリアの南であるパレスチナに住んでいた民族である。民族宗教であるユダヤ教を信仰していた。

 1世紀、ユダヤ戦争でローマ帝国に敗北。ユダヤ人はパレスチナから追放された。ローマ帝国各地へ移住した。これがディアスポラである。

 4世紀末、デオドシウス帝がキリスト教を国教化。

 5世紀初頭のデオドシウス2世の時代。キリスト教の国教化を徹底。この時代にユダヤ教の迫害が本格化した。

五本山

 4世紀末、キリスト教が国教化されると、キリスト教の教会は総主教のいる5つの教会をベースに管区に分けられた。

  • ローマ
  • アレキサンドリア(エジプト)
  • アンティオキア(シリア)
  • コンスタンティノーブル(トルコ)
  • エルサレム(パレスチナ)

 7世紀、イスラム教が中東を征服。アレキサンドリア教会、アンティオキア教会とエルサレム教会は衰退。ローマ教会を中心としたカトリックとコンスタンティノーブル教会を中心とした東方正教会に分裂していく。