11世紀のシリア・パレスチナ セルジューク朝とイェルサレム

前回の復習 12世紀のシリア・パレスチナ

 12世紀のシリア・パレスチナは、十字軍遠征が行われていた時代である。第2回、第3回十字軍が行われた。十字軍遠征はことごとく失敗。イェルサレムを支配するエジプトとアッコンなど沿岸部を拠点をおいた十字軍国家の対立が13世紀も続く。

 13世紀末、エジプトがアッコン陥落。十字軍国家は一掃された。

11世紀の国際情勢

 11世紀(1001年ー1100年)の日本は、平安時代。摂関政治の全盛期。藤原道長が登場した時代である。

 中国は、宋王朝の時代である。

 ヨーロッパでは、

11世紀のイェルサレム

 イェルサレムは、キリスト教の聖地である。7世紀、イスラム教が成立すると、イェルサレムを含むシリアは、イスラム教の勢力下になった。しかし、イスラム教徒は、キリスト教徒のイェルサレム巡礼を歓迎していた。

セルジューク朝

 セルジューク朝は、トルコ系の王朝でイスラム教スンニ派を信仰していた。

 31年、カズナ朝から独立。55年、ブワイフ朝が治めるバグダードに入城。バグダードを倒す。

 セルジューク朝の王は、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を得る。

セルジューク朝がイェルサレムを占領

 71年、セルジューク朝はビザンツ帝国領へ侵攻。マンジケルトの戦いに勝利。

 同71年、セルジューク朝は、ビザンツ帝国領イェルサレムを占領した。ちなみに、ビザンツ帝国は、同71年に南イタリアをノルマン人に占領された。

第1回十字軍

 イェルサレムがセルジューク朝に占領されると、ビザンツ帝国は、ローマ教皇ウルバヌス2世に応援を要請した。

 ローマ教皇は、これに即して十字軍の遠征を行おうとしていた。しかし、1つ問題があった。叙任権闘争で、教皇と皇帝が対立していた。

 96年7月、ローマ教皇ウルバヌス2世は、フランスでクレルモン公会議を実施。これにより、フランスの諸侯を中心とした十字軍が結成された。

 98年、セルジューク朝は、シリアを占領。シーア派のファーティマ朝エジプトがシリア奪回のために進軍。98年7月、ファーティマ朝がイェルサレムを征服した。

 同じ頃、十字軍がイェルサレムに到着。ファーティマ朝は和解案を示したが、十字軍はこれを拒否。99年5月、戦闘を開始。7月にイェルサレムを征服した。イェルサレム王国が建国された。