前回の復習 16世紀後半のシリア・パレスチナ
16世紀、シリア・パレスチナは、オスマン帝国の支配下に入っていた。
今回は、オスマン帝国が、シリア・パレスチナを整復していく過程を見ていきます。
16世紀前半の国際情勢
16世紀前半の日本は、戦国時代。各地で有力大名が台頭してくる時代である。キリスト教や鉄砲が日本に伝わる。
ヨーロッパでは、大航海時代。スペイン・ポルトガルが世界各地に展開していく。フランスのフランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世はイタリア戦争を展開。ルネサンスの芸術家は、北方へ避難する。(北方ルネサンスへ)。また、宗教改革が行われたのもこの時代である。
マムルーク朝
15世紀、シリア・パレスチナは、エジプトのマムルーク朝の支配を受けていた。
オスマン帝国領に
セリム1世
12年に即位。イランのサファーヴィー朝に勝利。トルコ(アナトリア半島)の大部分を回復した。
シリア併合
セリム1世は、トルコを回復すると、中東へ進行していった。16年、ダマスカスを制圧。シリア・パレスチナをマムルーク朝から奪還した。
マムルーク朝滅亡
セリム1世は、エジプトへ進攻。翌17年マムルーク朝を滅ぼした。
マムルーク朝からカリフの地位を獲得。さらに、聖地メッカとメディアの統治権も獲得した。
プレヴェザの海戦に勝利
スルタン スレイマン1世
20年、スレイマン1世がスルタンに即位。オスマン帝国はヨーロッパ諸国に刃を向ける。陸では、ハンガリーへ侵攻。第1回ウィーン包囲を実施。海では、地中海の制海権をめぐり、ヨーロッパ諸国と戦う。
ヨハネ騎士団に勝利
スレイマン1世は、22年にロードス島のヨハネ騎士団に勝利。ヨハネ騎士団は、拠点をクレタ島に拠点を移した。30年、神聖ローマ皇帝カール5世の支援で、拠点をマルタ島へ移した。これが現在のマルタ騎士団である。
なお、ヨハネ騎士団は、11世紀にエルサレムで成立。巡礼者と居留民のために病院経営を行った。12世紀から13世紀の十字軍の時代に規模を拡大した。しかし、13世紀末にアッコンが陥落。拠点をロードス島に移した。
プレヴェザの海戦
38年、プレヴェザの海戦でスペインを中心とした連合軍に勝利。地中海の制海権を確保した。
連合軍
スペイン連合軍には、スペインの他に、ローマ教皇軍とヴェネツィア共和国が参加した。
スペインは、15世紀に成立した国である。1492年にイスラムのヨーロッパ最後の拠点グラナダを陥落。同じ年、スペインがスポンサーになったコロンブスが大西洋を横断した。プレヴェザの海戦のときの国王は、カルロス1世である。彼は、神聖ローマ皇帝(ドイツ)を兼任していた。
ローマ教皇のいるイタリアは、イタリア戦争のさなかにあった。27年のローマの劫掠で、ドイツ(神聖ローマ帝国)派の教皇が成立した。
ヴェネツィアは、イタリア北東部の都市である。14世紀、東方貿易(レヴァント貿易)で栄えた。その時の取引相手は、オスマン帝国に滅ぼされたマムルーク朝であった。
フランスと交易
オスマン帝国は、地中海の制海権を獲得した。しかし、商売相手がいなかった。ヴェネツィアに変わる地中海沿岸の交易相手国を必要とした。
オスマン帝国が選んだのが、フランス商人であった。