18世紀前半のシリア・パレスチナ ワッハーブ王国の成立

前回の復習 18世紀後半のシリア・パレスチナ

 18世紀後半、シリア・パレスチナは、オスマン帝国の支配下にあった。当時のオスマン帝国は、黒海の北岸(現在のウクライナのあたり)をめぐり、ロシアと戦争が行われていた。

 この戦争に備えるため、イギリスと同盟関係を結んだ。結果、ヨーロッパとオスマン帝国との関係は深まった。

18世紀前半の国際情勢

 18世紀前半、日本は江戸時代。徳川吉宗の享保の改革が行われていた時代である。

 中国は、清王朝の時代。康煕帝、雍正帝と乾隆帝と続く全盛期の時代である。

 ヨーロッパは、絶対王政の時代である。フランス皇帝14世が崩御。イギリスとフランスがインドとアメリカで植民地競争を展開していた。

チューリップ時代

チューリップ時代とは

 チューリップ時代とは、17世紀前半のオスマン帝国の安定期である。

 この時期、フランスの宮廷文化がオスマン帝国に流入した。当時のフランス国王は、太陽王ルイ14世である。フランス宮廷文化の絶頂期である。

 このチューリップ時代は、11年にピョートル大帝期のロシア軍を撃退してから、18世紀なかばのエカチェリーナ期のクリム=ハン国への侵攻が始まるまでの時代を指す。

ロシアにアゾフ海を奪われる。

 ロシアは、ピョートル大帝の時代。96年に、黒海の北にあるアゾフ海へ侵攻。00年にアゾフ海をロシア領になった。

 そのような中でロシアは、北方戦争に参戦。この戦争の最中に、オスマン帝国がロシアにプルーフの戦い(11年)に勝利。アゾフ海を奪還した。

ワッハーブ王国

セリム3世

セリム3世

軍隊の近代化