1990年代のシリア・パレスチナ オスロ合意

2000年代のシリア・パレスチナ

 2000年代のシリアは、アサド大統領(親)がなくなり、息子に引き継がれた。一方、イスラエルでは、ユダヤ人とパレスチナ人の関係は悪化。第2時インティファーダがおこる。

1990年代の国際情勢

 90年代、日本は平成初期。バブル崩壊により失われた10年と呼ばれた時代である。長期に渡る不況は銀行が破綻するほどの金融危機が発生した。

 89年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、激動の90年代画が始まる。ソ連が崩壊し、アメリカ一強の時代が始まる。

 Windows95の発売やインターネットの始まりで、IT革命がはじまる。

オスロ合意

オスロ合意

 オスロ合意とは、93年に成立したイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)との中東戦争の講和条約である。

 この条約で、PLOはイスラエル国内で自治政府を置くことができた。

 合意交渉が行われたのはノルウェーの首都オスロ。ノルウェーの外相とアメリカのクリントン大統領が仲介役を努めた。

 イスラエルの代表はラビン首相で、PLOの代表はアラファト議長である。

中東戦争とは

 中東戦争とは、イスラエルとアラブ諸国の間で行われた4つの戦争である。きっかけは、アラブ人国家パレスチナとユダヤ人国家イスラエルの分割案である。

 78年のエジプト=イスラエル和平で中東戦争は終結した。

アラブ諸国との和平

 アラブ諸国が和平に向かったのは、冷戦の終結である。これにより、アメリカ一強の時代が始まった。その象徴が湾岸戦争である。アメリカは、湾岸戦争でイラクに勝利すると、アメリカ手動の和平交渉が始まった。

 オスロ合意が成立すると、93年、イスラエルはヨルダンとも講和した。

過激派ハマス

 オスロ合意が成立すると、PLOはヨルダン川西岸地域とガザ地区で自治を開始した。

 これに伴い、チュニジアに亡命中のアラファト議長らPLOは帰国。アラファト議長の独裁が始まった。

 これに反発したのが、過激派のがハマス氏である。ハマスはイスラエルに残り、抵抗運動を続けた。ハマス氏は、イスラム同胞団の流れをくみ、イスラム色の強い政策が取られた。

 以後、パレスチナ自治区は、穏健派のアラファト議長派と過激派のハマス派の対立が続く。

ラビン首相暗殺

 一方、イスラエルのラビン首相は、95年に暗殺される。これにより、イスラエルは強硬派政権が成立。パレスチナ和平は遠のいた。これが、00年の第2時インティファーダにつながる。

初代アサド政権

 現在のアサド政権は、2代目である。初代アサド政権は、70年に成立した軍事政権である。70年代の2つの戦争で国民の支持を集めた。第四次中東戦争とレバノン内戦である。

 レバノン内戦で国際的に孤立する。

レバノン

 80年代、イスラエル軍がレバノン南部に駐屯。レバノンはしばしばイスラエルの空爆を受けた。

 90年、シリアのアサド政権は、レバノンに派兵。これにより、レバノンは平和になった。