2000年代のシリア・パレスチナ アサド政権成立

2010年代のシリア・パレスチナ

 2010年代のシリアは、アラブの春をきっかけにシリア内戦が起こった。この戦争は今も続いている。

 一方、パレスチナでは、イスラエルとPLOが対立。トランプ政権が、エルサレムに大使館を移転したことでこの問題に拍車がかかった。

2000年代の国際情勢

 2000年代の日本は、小泉政権の時代。政治、経済、文化に大きな影響を与えた。規制緩和で景気を回復されたが、非正規労働者が多くなった。これが顕著に現れたのがリーマンショックである。

 アメリカも激動の時代になった。01年に911テロが発生。これをきっかけに、アフガン戦争、イラク戦争へと突き進んでいく。また、08年のリーマン・ショックは、全世界の経済に大きな影響を与えた。

シリア アサド政権成立

アサド政権とは

 00年、父のアスマー・アル=アサド大統領がなくなると、バッシャール・アル=アサド大統領が誕生した。

2代目アサド

 バッシャール・アル=アサド氏は、次男で大統領になる予定ではなかった。軍医になり、兄を支える予定であった。そのため、90年代に、イギリスへ留学している。

 しかし、兄が事故死。バッシャール・アル=アサド氏は急遽帰国し、軍人になった。父の後継者になるためである。

 奥さんは、イギリスで出会ったシリア人である。大手金融機関JPモルガンで働くキャリアウーマンであった。アサド家と違いスンニ派を信仰。アサド政権のシーア派色を薄める役割を持つととともに、西側諸国(イギリス・アメリカ)で生活が長いので、イギリスなどと大きなパイプを持っていた。

アサド政権の特徴① シーア派

 アサド政権の特色を見る上で重要のキーワードががある。シーア派とバアス党である。

 イスラム教は、大きく2つの宗派に分かれる。多数派のスンニ派を少数派のシーア派である。

 スンニ派は、ムハンマドの言行(スンニ)を重視する。アラビア語を話すアラブ人を中心に広まった。現在その中心にあるのがサウジアラビアの王家であるサウード家である。

 シーア派は、ムハンマドの言行(スンニ)よりも、血統を重視する宗派である。アラビア語を話せないイラン人(ペルシャ人)を中心に広まった。現在その中心は、イランである。

 シーア派は、さらに大きく2つに分かれる。過激派のイスマーイール派と穏健派の十二イマーム派である。イランは、十二イマーム派を信仰。

 アサド家は、シーア派の一派であるアラウィー派を侵攻している。アラウィー派は、トルコとシリアで信仰されている。思想的には過激派のイスマーイール派に近い。

 シリアの主要な宗教は、スンニ派である。そのため、アラウィー派は冷遇されていた。冷遇され貧しいシーア派の人々は軍人に志願するものが多かった。

 現在、アサド政権の幹部はシーア派が中心になっている。少数のシーア派、多数派のスンニ派を統治している構造になっている。

アサド政権の特徴② バアス党

 アサド政権の特徴その2は、バアス党の1党独裁である。

 バアス党の正式名称は、アラブ社会主義復興党である。主要な政策は、アラブ人による統一国家の建設である。そのために、民族主義、社会主義的政策を取っている。

 社会主義的政策を取っているため、ソ連(ロシア)との関係が良好であった。

 バアス党の成立は、第2次世界大戦中の秘密結社であった。当時のアラブ諸国はフランスやイギリスから独立したばかりの国であった。そのため、資本主義を否定し、共産主義に近い政策を取った。

アサド大統領の改革

 90年代末、アサド氏が政治の中枢に入ると、多くの腐敗政治家を次々追放。民衆に対しては、クリーンなイメージを与え、官僚には、恐怖心を与えた。

反政府軍

スンニ派の自由シリア軍

 シリア内戦は、当初市民のデモ活動であった。しかし、政府軍の軍隊の一部が軍隊を離脱。反政府を結成した。これが自由シリア軍である。その中心はスンニ派の人々であった。これにより、デモ活動出会った反政府運動は、内戦に発展した。

なぜ、アメリカは反政府軍を支援したのか?

 アメリカは、反政府の自由シリア軍を支援した。その理由は、レバノン内戦にある。シリアは、レバノン内戦で親シリアの派閥を支援。これにより、アメリカはテロ支援国家に認定していた。

イラク戦争とISIL

 ISILは、シリアとイラクに拠点を置く、スンニ派のテロ組織である。アルカイダに忠誠を誓っている。目的は、イスラム圏に統一国家を建設することであり、イラクとシリアの国境付近に事実上の独立国を建国した。

クルド人問題

 クルド人は、中東に暮らす民族である。人口は多いのだが、生活区域を多くの国で分割。それぞれの国で少数民族になり、冷遇された。そのため、独自国家の建設を願った。

 シリアでは反政府軍に参加。

イスラエル 空爆しまくるイスラエル

第2次インティファーダ

レバノン侵攻

ガザ地区、空爆

レバノン)反シリア政権

反シリア政権

 90年代、レバノンでは反シリア政権が成立。内戦で荒廃したレバノン経済を復興させるために、インフラ整備に尽力した。その結果、多額の債務を抱え、GDPの140%に達した。

ヒズボラ

 ヒズボラは、シーア派の武装組織である。シリアはこの武装組織を支援していた。

 これにより、アメリカなど西側諸国とシリアは対立した。

イスラエル軍の撤兵

 90年代、イスラエルはレバノン南部に駐屯していた。レバノンで頻繁に空爆していたことにより、国際連合から避難を浴びていた。これを受けて、00年にイスラエル軍はシリアにてっぺいした。

 一方で、シリア軍はその後も駐屯し続けていた。

シリア軍の撤兵

 05年2月、反シリア派の元首相が暗殺。これにより、シリア軍のレバノン駐屯への抗議運動が起こった。これが「杉の革命」である。

 国際世論もこれに同調。これを受けて、シリア軍はレバノンから撤兵した。

イスラエルのレバノン侵攻