前回の復習 紀元前2世紀のシリア・パレスチナ
紀元前2世紀のシリア・パレスチナは、セレウコス朝シリアの時代である。マカベア戦争でセレウコス朝が敗北。ユダヤ人国家のユダ王国が独立した。
紀元前3世紀の国際情勢
紀元前3世紀(BC300年ーBC201年)の日本は、弥生時代。西日本で水耕の稲作が始まる。
中国では、秦の始皇帝が中華統一。春秋戦国の戦乱期が終わる。共和政ローマでは、ポエニ戦争に勝利。海外植民地(属州)を持つ。
セレウコス朝シリア
セレウコス朝は、紀元前4世紀末から紀元前1世紀半ばまで存在した中東の国である。最大版図は、西は東地中海沿岸(シリア・パレスチナ)から東は、インダス川沿岸(インド)まで広がる大帝国であった。
アレキサンダー大王の後継者が建国したヘレニズム3国の1つである。残りの2つは、アンディゴノス朝マケドニア(ギリシャ)とプトレマイオス朝エジプトである。
王家は、ギリシャ人である。しかし、初代国王の后はイラン人(ペルシャ人)なので、ギリシャ人とイラン人のハーフの王家になっている。
3世紀のセレウコス朝は、多く国が独立し、国力を衰退させた時代であった。次のセクションでは、その過程を見ていきます。
セレウコス朝シリアの衰退
パルティアの独立
48年、イラン北部で遊牧イラン人国家のパルティアがセレウコス朝から独立した。当時の中国では安息(あんそく)と呼ばれていた。
西がカスピ海、東がバクトリア(中央アジア)になる。
パルティアは、紀元前2世紀半ばに、イラク(メソポタミア)を併合。その後、イラク(メソポタミア)をめぐり、ローマ帝国としばしば戦争が行われた。3世紀、ササン朝によって滅亡した。
バクトリアの独立
55年、中央アジアでバクトリアがセレウコス朝から独立した。王家は、セレウコス朝と同じギリシャ人である。アラル海に注ぐアム川上流を拠点にした。
バクトリアは、紀元前1世紀半ばに大月氏によって滅ぼされる。
ぺルガモン王国の成立
62年、小アジア(アナトリア半島西岸<現在のトルコ>)でペルガモン王国がセレウコス朝が独立した。
紀元前2世紀初頭、アテネなどとともにアンディゴノス朝マケドニアと戦争をおこし、勝利する。(第2回マケドニア戦争)
紀元前2世紀後半に、共和政ローマに服従した。
シリア戦争
概要
紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて、パレスチナをめぐり、セレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの間で戦争が起こった。これがシリア戦争(紀元前3世紀)である。
この戦争は、周辺国である共和政ローマ、カルタゴとアンディゴノス朝マケドニアとの関係に大きな影響を与えた。同時期に西地中海で行われていたポエニ戦争の影響を受けた。
ヘレニズム3国の関係
紀元前4世紀末、アレキサンダー大王が死去。その後継で名乗りを上げたのがアンディゴノス朝マケドニアである。しかし、アレキサンダー大王の部下たちは、アンディゴノス朝を認めず、次々と独立した。その中で生き残ったのが、セレウコス朝シリアプトレマイオス朝エジプトである。
紀元前3世紀に入り、セレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトは、パレスチナをめぐり対立する。
64年、西地中海で共和政ローマとカルタゴ(北アフリカ)との間でポエニ戦争が始まる。セレウコス朝は、シリアのフェニキア人を保護。同じフェニキア人国家のカルタゴを指示した。一方で、カルタゴと国境を接するプトレマイオス朝シリアは、共和政ローマに接近した。
紀元前2世紀に入ると、セレウコス朝シリアは、共和政ローマと戦争中のアンディゴノス朝マケドニアと同盟を結ぶ。これが第2次マケドニア戦争につながる。
紀元前2世紀初頭の地中海沿岸の対立構図
セレウコス朝シリア | シリア戦争 | プトレマイオス朝エジプト |
カルタゴ(北アフリカ) | ポエニ戦争 | 共和政ローマ |
アンディゴノス朝 マケドニア セレウコス朝が支援 | マケドニア戦争 | アテネ(アカイア同盟) ペルガモン王国(小アジア) 共和政ローマが支援 |