中世のアフリカとインド

概略

インド

インド史概要

  • 古代 インダス文明 → アーリア人の時代 → 古代四王朝
  • 中世 ラージプートの戦乱期→デリースルタン朝
  • 近世 ムガル帝国
  • 現代 イギリス植民地→インドとパキスタン

ヴァルダナ朝の滅亡

 6世紀半ば、グプタ朝(古代インドの四王朝の3番目)が滅亡。インド全域で反仏教運動が起こる。これをバクティ運動という。これにより、インドでは仏教が衰退。ヒンドゥー教が台頭する。

 7世紀半ば、ヴァルダナ朝が衰退。インド全域に地方王朝がランリする状態になった。ヴァルダナ朝は、古代インド四王朝の最後の王朝である。

ラージプートの戦乱期

概要

 ヴァルダナ朝が衰退すると地方王朝が乱立した。この時代をラージプート時代という。この時代は、10世紀まで続いた。

 また、8世紀には、イスラム勢力がインドに侵入。イスラム教とヒンドゥー教の対立はこの時代から始まった。

 衰退傾向にあった仏教は、インド北東部のベンガル地方のナーランダー僧院を中心に最後の繁栄を迎えた。

カズナ朝とゴール朝

 10世紀半ば、中央アジアのアフガニスタンでトルコ系のカズナ朝が成立。12世紀半ば、イラン系のゴール朝がカズナ朝から独立。ゴール朝はたびたびインドへ侵攻した。対立していたヒンドゥー教系のラージプート諸国は連合軍を組み、ゴール朝と戦った。

デリー=スルタン朝

アイバクと奴隷王朝

 インドにイスラム王朝が登場したのは、13世紀初頭のことである。ゴール朝のマムルーク(軍人奴隷)であったアイバクはインド侵攻の司令官であった。13世紀初頭、ゴール朝から独立。北インドのデリーを拠点に王朝を築いた。これが奴隷王朝である。

デリー=スルタン朝

 奴隷王朝以降、北インドではデリーを拠点にイスラーム教の王朝が5つ誕生した。この王朝を総称してデリー=スルタン朝という。デリー=スルタン朝は、13世紀初頭から15世紀初頭のムガル帝国の成立まで続いた。

 この時代は商業活動が活発で、東アフリカから金が流入。14世紀初頭(ハルシー朝)の時代には税金は金納に統一された。 

イスラム教とヒンドゥー教の融合

 イスラム勢力は、当初ヒンドゥー教を弾圧。多くのヒンドゥー教寺院を破壊した。しかし、ヒンドゥー教を容認するようになった。

 一方で、都市住民やカーストの下位の人々はイスラーム教へ改宗する者もいた。

 この時代に、イスラーム教とヒンドゥー教が融合したインド=イスラム文化が成立した。この時代、多くのサンスクリット文学がペルシャ語に翻訳された。

東南アジア

 8世紀、東南アジア(諸島部)や唐王朝にムスリム商人が来訪。拠点を築く。

 9世紀後半、唐王朝のムスリム商人の拠点が黄巣の乱で破壊。ムスリム商人は唐王朝から撤退した。唐王朝の衰退で朝貢貿易も一時途絶える。この時代に中国商人が東南アジアへ来訪するようになる。この時に使われていたのがジャンク船である。

 10世紀後半、東南アジア諸国が宋王朝への朝貢。イスラム商人も中国に居留地を築く。一方で中国商人も東南アジアに中国人居留地を築く。

 13世紀、インドネシア諸島部で神秘主義教団が活動。

 13世紀後半、モンゴルのフビライが日本や東南アジアへ侵攻した。これによりミャンマーのパガン朝は滅亡した。しかし、日本の鎌倉幕府やベトナムの陳朝はこれを撃退した。

 モンゴルを撃退したインドネシアでは、マジャパヒト王国が成立。ヒンドゥー教を信仰。東南アジア諸島部の大部分を征服。16世紀初頭まで続いた。

 13世紀末、東南アジア諸島部に初のイスラム王朝が成立。

 15世紀初頭、明王朝の鄭和の大航海。この時に拠点になったのがマレーシアのマラッカ王国である。マラッカ王国は明王朝の後ろ盾でタイのアユタヤ朝から独立した。また、マラッカ王はイスラム教に改宗し、イスラム勢力をも味方につけた。

 15世紀半ば。明王朝が衰退。タイのアユタヤ朝がマラッカ王国(マレーシア)を征服しようとしたが失敗した。

 マラッカ王国の影響で、15世紀ごろから東南アジア諸島部のイスラム化が進んだ。これにより、マジャパヒト王国は衰退。イスラム王朝が成立するようになった。スマトラ島(マレーシア)のアチェ王国(15世紀末)やジャワ島(インドネシア)のマタラム王国(16世紀後半)がその一例である。

アフリカ

スーダンとエチオピア

 紀元前10世紀、スーダン(ナイル川上流)にクシュ王国が成立。

 紀元前8世紀、クシュ王国(スーダン)、エジプト王朝を滅ぼす。

 紀元前7世紀半ば、クシュ王国(スーダン)、アッシリアの侵入で、ナイル川上流に撤退。都メロエは、商業と製鉄で栄えた。メロエ文字(未解読)を使用していた。

 4世紀、クシュ王国(スーダン)は、エチオピア(アクスム王国)によって滅亡した。

西アフリカ

 西アフリカは、ニジェール川沿いに発展した。この地域は金が産出されてため反映していた。その中心都市はトンブクトゥである。

 7世紀、西アフリカにガーナ王国が成立。ムスリム商人に金を売り、岩塩を買っていた。

 10世紀後半、カーナ王国は、イスラム教国のモロッコ(ムラービト朝)によって滅亡。この頃から西アフリカのイスラム化が進んだ。

 13世紀半ば、マリ王国が成立。15世紀後半に滅亡。

 15世紀半ば、ソンガイ王国成立。16世紀末に滅亡。このころから沿岸部にポルトガル探検家が登場。

東アフリカ

 東アフリカはインド洋に面しており、西アフリカよりも早く海上交易で栄えた。

 10世紀までは、ソマリアのモガディシュ以北までしか高家機が行われなかった。

 10世紀に入ると、ムスリム商人が東アフリカ南部へ進出。この地域では、アラビア語の影響を受けたスワヒリ語を話すようになる。

 11世紀、東アフリカ南部にモノモタバ王国が成立。金や象牙を輸出。綿布を輸入した。