イスラ-ム教の成立

概略

 今回から本格的に中世編に入ります。初回はイスラーム教の成立から分裂して3カリフ時代になるまでを見ていきます。

6世紀の中東

 イスラーム教が成立したのは西アジアのアラビア半島南部である。イスラーム教が成立する前の6世紀、西アジアはどのような状況であったのでしょう。

 東半分は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)が、西半分はササン朝(イラン)があった。両国は激しく戦闘を行っていた。

イスラーム教の成立

 6世紀後半、西アジア北部は、ビザンツ帝国とササン朝イランとの戦いがあった。そのため、陸上交通やペルシャ湾を使った海上交易が廃れた。そのため、アラビア半島の南の紅海を通じた交易が盛んになった。

 ムハンマドが誕生したメッカは、紅海から少し内陸に入った商業都市で、6世紀後半交易で大いに栄えた。これにより格差が発生。大商人が街を支配するようになった。

 7世紀初頭、ムハンマドはアッラー(キリスト教でいうGod)から預言を授かった。これがイスラム教の始まりである。ムハンマドは、預言者となる。ムハンマドは、アッラーのみを崇拝し、偶像崇拝を否定した。また、富の独占を否定した。これにより、イスラム教はメッカの貧困層を中心に広まった。

 偶像崇拝による多神教を信仰していたメッカの大商人たちは、これに危機感を抱いた。彼らはムハンマドらを迫害した。ムハンマドらは、メッカの北のメディナへ移住した。イスラーム教徒は共同生活を営むようになった。これをウンマという。また、メディナに移住したことをヒジュラといった。

 7世紀前半、ムハンマドらは、メッカを無血で征服した。メッカの大商人たちが作った多神教の神殿であるカーバ神殿に侵入。ムハンマドらは、カーバ神殿内の偶像を破壊。そして、カーバ神殿をイスラーム教の聖地とした。

 アラブの諸部族が、ムハンマドの服従を誓い、アラビア半島は統一された。

 ムハンマドの言行は、アラビア語で書かれた聖典『コーラン』にまとめられた。その中心は五行六信であった。

正統カリフ時代

 7世紀前半、預言者ムハンマドが亡くなる。選挙によってカリフを選ぶようになる。これを正統カリフ時代という。

 正統カリフ時代には、ササン朝(イラン)を滅ぼし、ビザンツ帝国からシリアとエジプトを奪った。この時、多くのアラビア人が征服地へ移住した。彼らが作った町はミスルと呼ばれた。

ウマイヤ朝

 7世紀半ば、4代目カリフのアリーが暗殺。シリア提督のムアウィヤがカリフになった。以後、ウマイヤ家が世襲するようになったのでウマイヤ朝と呼ばれた。都はメッカからシリアのダマスカスに移った。

 8世紀に入ると、支配地域はさらに拡大した。東方では、中央アジアのソクディアナを征服。当時の中央アジアは唐王朝が進出していた。また、インド西部へも侵攻した。当時のインドはヴァルダナ朝後の戦乱期であった。西方では北アフリカを征服。スペインの西ゴード王国を征服。フランスのフランク王国と戦った。

 ウマイヤ朝は、領土拡大によって多くの異民族を支配するようになった。異民族に地租(ハラージュ)と人頭税(シズヤ)を課した。

アッバース革命

 8世紀半ば、イラン人を中心としたイスラム教改宗者が反乱を起こした。これがアッバース革命である。この革命でウマイヤ朝は崩壊した。イラン人改宗者は、アッバース家のカリフをたてた。この王朝がアッバース朝である。アッバース朝は、中東最大の都市クテンシフォン(イラク)の近郊にバグダードという都を建設した。

 アッバース朝は、民族差別を撤廃。アラブ人以外の官僚が採用された。税制も改革された。人頭税(シズヤ)の免税対象は、改宗した異民族まで広がった。逆に地租(ハラージュ)はアラブ人にも課せられた。公用語はアラビア語のままであったが、シャーリア(イスラム法)が重視されるようになった。

 このような影響から、ウマイヤ朝がアラブ帝国、アッバース朝はイスラム帝国と呼ばれる。

イスラーム帝国の分裂

後ウマイヤ朝(ウマイヤ朝の残党)

 西アジアでアッバース革命が起こると、ウマイヤ朝の残党は、スペインへ逃亡。スペインのゴルドバで後ウマイヤ朝を建国。

ハールーン=アッラシードの全盛期

 一方、西アジアは、8世紀末にハールーン=アッラシードがカリフに即位。黄金時代を迎える。都バグダードの人口は100万人に達した。

 しかし、9世紀に入ると地方王朝が次々と乱立。アッバース朝の勢力圏は次第に縮小した。

ファーティマ朝(急進シーア派)

 10世紀初頭、北アフリカに急進シーア派のファーティマ朝が成立。アッバース朝のカリフを否定。

 10世紀半ば、ブワイフ朝がバグダードへ入城。それをうけて、ファーティマ朝がエジプトを征服。カイロを建設。

 ファーティマ朝は、アッバース朝のカリフを否定。自らもカリフを名のる。これを受けてスペインの後ウマイヤ朝もカリフを主張。3カリフ時代に入る。

ブワイフ朝(穏健シーア派)

 10世紀前半、イランでは穏健シーア派のブワイフ朝が成立。10世紀半ばにはバグダードを占領した。

 ブワイフ朝のトップは、アッバース朝のカリフから大アミール(軍司令官のトップ)の称号を授かり、イスラーム法によって統治する権利を授かった。