中世② キリスト教

概要

 第5章では、中世ヨーロッパを扱う。時代としては、4世紀のローマ帝国分裂から16世紀の大航海時代の直前までを見ていきます。

 ヨーロッパは、ローマ帝国の分裂後、ヨーロッパを統一する国がなかった。その中で権威をもち始めたのが、ローマ教会(キリスト教)と騎士階級(封建制度)であった。

 また、この時期に東方正教会とローマ教会の分裂も起きた。

 しかし、十字軍の失敗やペスト(黒死病)の流行で、キリスト教勢力や騎士階級が没落していった。

古代編の復習

古代編の最後、ヨーロッパは以下のようになった。

  • ローマ帝国は東西に分裂した。
  • 西ローマ帝国は滅亡し、ゲルマン民族の国家群が形成された。
  • キリスト教が国教化された。
  • 農奴制が導入された。

西ヨーロッパ諸国の成立

歴史の流れは、以下の通りです。

  • ゲルマン民族が互いに争った。
  • フランク王国が統一。
  • フランク国王カールが戴冠を受ける。
  • フランク王国が分裂し、フランス、ドイツ、イタリアになった。
  • ノルマン人が侵入。ロシア、イングランドや南イタリアに国家を作った。

 このころのキリスト教はどのようになっていたのだろうか。聖像禁止令によって、ローマ=カトリックと東方正教会に分裂した。西ローマ帝国は、フランク王国の保護のもとで成長した。イタリア中部の教皇領と寄進によって経済力を得るとともに、皇帝の戴冠によって権威を示した。

 その後、皇帝が力をつけると、教皇(ローマ教会のトップ)と対立するようになる。これが叙任権闘争である。

 経済では、農奴制を基盤とした封建制度が確立した。その中心は地主階級の騎士(ナイト)であった。

東ヨーロッパ世界の成立

 一方、コンスタンチノーブル(イスタンブル)を中心とした東ローマ帝国は、繁栄が続いた。特に6世紀のユスティアヌス帝の時代には、地中海の大部分を再征服した。

 しかし、7世紀にイスラム勢力に穀倉地帯のシリア・エジプトを奪われると貧しくなった。その過程で導入されたのがテマ制である。公用語もラテン語からギリシャ語に変更された。この影響は現在も続いており、東ヨーロッパではギリシャ文字が主流である。

 このころ、東ヨーロッパではスラブ族が登場した。

キリスト教勢力の衰退と騎士階級の没落

 三圃制の導入や温暖化の影響で農業生産性が向上し、生活に余裕が出始めた。この時期に行われたのが十字軍遠征である。

 十字軍は失敗に終わった。十字軍遠征で疲弊した貴族は没落。十字軍を指揮した教皇の権威も失墜した。代わりに台頭したのが十字軍で陣頭指揮を行った国王たちであった。

 農業生産性向上によって、余剰生産物の売買が始まった。これによって、商業や都市が成立した。都市は、成長すると騎士階級からの独立し、自治権を獲得するようになった。

 十字軍の失敗やペストの流行で、騎士は没落。一方で農奴の地位が向上した。

 十字軍の失敗やペストの流行は、ローマ教会の地位も低下させた。その最大の事件が「教皇のバビロン捕囚」である。また、ウィクリフやフスのようなローマ教会を批判する者もあらわれた。

中世ヨーロッパの文化

 この頃の文化の中心は、キリスト教である。この時期に多くの修道院が建設された。さらに、神学を学ぶ大学も建設された。この大学でウィクリフやフスが登場した。

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