17世紀の東アジア
清王朝の統治
清王朝
17世紀半ば、李自成が明王朝を滅ぼす。明の武将で清王朝の遠征を行っていた呉三桂は、清王朝に降伏。清軍は、北京に入城。都を北京に置いた。
清王朝は、降伏した呉三桂ら三人の漢人武将に雲南など中国南部の統治を任せた。この地域を三藩という。
台湾
オランダが支配していた台湾では、鄭成功が侵入。17世紀半ば、オランダ人を駆逐し、台湾を占領。清王朝に抵抗した。
康熙帝の時代(17世紀後半)
17世紀後半に入り、康熙帝が即位すると三藩を廃止。呉三桂らは反乱を起こした。三藩の乱は清王朝軍によって鎮圧された。
康熙帝は、海禁政策で鄭成功の台湾の財政的に苦しめた。そして鄭氏を降伏させた。
雍正帝と乾隆帝の時代(18世紀)
18世紀に入ると、有能な皇帝が続き、清王朝は安定した。中国の統治では明王朝時代の制度を踏襲した。科挙制度をつづけ、儒学を振興させた。
軍事では、漢民族の緑営のほか、満洲・モンゴル・漢の3郡で構成する八旗を要地に駐屯させた。
官僚は、満洲人と漢民族を同数とした。皇帝直属の諮問機関である軍機処を設置した。
ラーメンマンと思想統制
清王朝は、康煕字典、古今図書集成、四庫全書などの大規模な編纂事業を行った。文字の獄や禁書で思想を統制。辮髪など満洲風の格好を漢民族などに強制した。
白蓮教などの民間信仰を禁止した。
清王朝の軍事
康熙帝
雍正帝
乾隆帝
統治方法
清王朝の外交
朝鮮
琉球
日本
清王朝の社会と文化
貿易政策
海禁政策の解除
康熙帝の貿易統制
生産性の向上
(税制)一条鞭法→地丁銀制
16世紀に、中国の税制は銀納に統一された。(一条鞭法)。この時、税金は人頭税と土地税の二本立てであった。
17世紀、人頭税を廃止。土地税に一本化された。これが地丁銀法である。