近代⑤ ドイツ・イタリアの統一

概要

 近代ヨーロッパの最後で、19世紀のヨーロッパを見ていきます。フランス革命が終わると、絶対王政を復活させようと動いたが失敗に終わった。その中で、ドイツとイタリアが統一されていく。

ウィーン体制と王政の復活

 ここでは、19世紀前半のヨーロッパを見ていきます。

 ナポレオン戦争が終結すると、ウィーン会議を開催。ブルボン朝を中心に多くの王朝が復活し、フランス革命以前の状況へ戻った。

 しかし、それに反発する革命がヨーロッパ各地で行った。

 30年には、フランスで七月革命が起き、七月王政が成立した。

 オスマン帝国では、ギリシャやエジプトが独立した。

 この時期、多くの社会主義者が台頭した。

 そして、48年、ヨーロッパの革命は絶頂期を迎える。フランスでは、王政が停止第二共和政が成立。その後、ナポレオン3世の第二帝政へ移る。この革命はプロイセンやドイツへも波及した。さらに、多くの民族が独立運動を展開した。(諸国民の春)

ドイツ・イタリアの統一

 ここでは、19世紀後半のヨーロッパを見ていきます。

 50年代、クリミア戦争が勃発。

 ロシアは、クリミア戦争敗北後、大改革を行った。農奴解放令である。これがきっかけで改革派が台頭してきた。彼らがロシア革命を指導していくことになる。

 イギリスは、ヴィクトリア女王の黄金期を迎える。

 フランスは、ナポレオン3世の時代。しかし、70年の普仏戦争の敗北で失脚した。その後、社会主義政権であるパリ=コミューンが成立。これが鎮圧され、第三共和政へ移行する。

 イタリアは、60年にサルディーニャ王国がイタリアを統一。(イタリア王国)。70年には、ローマ教皇領を占領した。

 プロイセンでは、62年にビスマルクが首相になる。66年にオーストリアに勝利、70年にフランス(ナポレオン3世)に勝利。ドイツ帝国が成立した。

 プロイセンは、カトリック教徒や社会主義者の弾圧を行う一方で、社会保障制度を整えた。さらに、保護貿易政策をとった。

 外交面では平和外交を行った。(ビスマルク外交)。露土戦争をうまくと仕切ったベルリン会議はその集大成であった。

19世紀の南北アメリカ

 19世紀前半、南アメリカで独立運動が進んだ。そのきっかけは、ナポレオン戦争期のハイチの独立であった。シモン=ボリバルなどの確約によって多くの国が独立した。

 アメリカ合衆国は、18世紀後半に独立。19世紀初頭、英仏戦争に敗北。1840年代、アメリカ=メキシコ戦争に勝利し、カリフォルニアまで進出。1860年代、南北戦争が勃発。北軍が勝利した。これ以降、共和党政権が続く。 

19世紀の文化

 文化の中心は、貴族から一般市民に変わった。19世紀前半にはロマン主義の文化が、19世紀後半には写実主義の文化が形成された。

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