(前史)近代のインド
インドの植民地化
東インド会社
17世紀に入ると、オランダ、イギリス、フランスなどの東インド会社がインドへ進出した。
オランダは東南アジアのジャワ島(インドネシア)に、イギリスは南インドに拠点を置いた。フランスは17世紀の半ばに南インドに進出した。
当時の東インド会社の事業は、綿布の仕入れであった。インドは綿布の販売で金銀が流入。現物経済から貨幣経済へ移行した。
七年戦争
18世紀初頭、アウラングゼーブ帝が亡くなる。アウラングゼーブ帝のイスラーム教重視政策で異教徒の支持を失い、ムガル帝国は衰退。地方勢力が台頭。ムガル帝国は北インドの小国になった。
旧勢力は、新たに進出したフランス商人と結びついた。18世紀半ば、ヨーロッパで七年戦争が勃発すると、イギリス東インド会社は、カーナティック戦争やプラッシーの戦いを展開。
63年、七年戦争でイギリスが勝利すると、フランスはインドから撤退。カーナティック戦争やプラッシーの戦いは終結した。
マラーター戦争とシク戦争
イギリス東インド会社は、七年戦争に勝利するとインドを直接支配するようになる。
東インド会社
収入源
17世紀、東インド会社の主な収益源は、インド産綿布の輸入であった。
しかし、18世紀半ばになると税金の徴収権を獲得。主要な収益源が税収になった。東インド会社は農民に土地の所有権をあたえて、代わりに徴税権を得た。これをライヤットワーリー制度という。
困窮するインドの人々
税金は農産物ではなく現金での納付を出会った。19世紀に入ると農産物価格が低下。税負担が重くなり、農民の生活は困窮した。
産業革命とインド
また、産業革命によってインド産綿布の需要が激減。インドは貿易赤字を抱えるようになった。そのような中、商用産業の一つになったのが清王朝向けのアヘンの輸出であった。
東インド会社と自由貿易
19世紀に入ると、イギリスでは自由貿易を求める動きが出た。
クリミア戦争、76年
インド大反乱
インド大反乱
サファヴィー朝
18世紀末にカジャール朝が成立。
インド帝国の成立
ハーブ教徒
東南アジア
インドネシア(オランダ)
17世紀前半、アンボイナ事件でオランダが日本の支援を受けて、イギリスに勝利。
18世紀半ば、オランダがマラタム王国を滅ぼす。
19世紀に入ると、オランダ政庁による直接支配。商品作物の栽培を強制される。
1820年代、ジャワ戦争という大反乱がおこる。
1830年代以降、反乱が鎮圧。強制栽培制度が導入される。
マレーシア(イギリス)
18世紀末、フランス革命やナポレオン戦争でオランダが混乱すると、イギリスはと東南アジアへ進出した。
26年、ジャワ戦争が起こると、イギリスは海峡植民地を建設した。
70年代に入り、帝国主義政策が始まると、港市の支配から、領域の支配へと展開した。この時、中国からの移民(華僑)と先住民であるマレー人との対立を利用した。
90年代、マレー連合州が成立した。
ビルマ(イギリス)
18世紀半ば、タウングー朝が南部のモン人によって滅亡した。しかし、その後北部にコンバウン朝が成立。モン人を撃退した。
20年代、ジャワ戦争が始まると、インドのイギリス東インド会社がビルマへ侵攻。ビルマ戦争が勃発した。
ビルマ戦争は、80年代まで続いた。80年代、コンバウン朝が滅亡。イギリス領インド帝国に併合された。
フィリピン(アメリカ)
16世紀、スペインが占領。カトリックへの強制改宗が行われた。
19世紀初頭。ラテンアメリカが次々とスペインから独立。34年、欧米勢力の排除をする政策を転換。マニラを正式に開講した。
スペインは、交易から商品作物の生産に軸足を置くようになった。
ベトナム(フランス)
16世紀、黎朝の時代。黎朝は名目だけの存在になり、政治勢力は南北で対立していた。
18世紀後半、農民反乱である西山の乱がおきる。南北の政治勢力は衰退。西山政権が成立した。
阮福暎(げんふくえい)が、フランス人宣教師ピニョーらともに挙兵。1802年、西山政権を倒し、阮王朝をたてた。阮福暎は、清王朝(中国)に使いを送り承認された。
19世紀半ば、ナポレオン3世の時代になるとフランスがベトナムに興味を持つようになった。
63年、フランスは、カンボジアを保護国にした。67年、カトリック教徒の迫害を理由に、フランスが軍事介入。ベトナム南部地域を奪った。しかし、70年の普仏戦争でナポレオン3世が失脚。フランスの介入は一時中断した。
80年代に入ると、フランスはベトナム北部へ関心を高めた。これに抵抗したがの劉永福がひきいる黒旗軍が抵抗した。しかし、83年、ユエ条約を締結。フランスの影響がベトナム北部まで及ぶようになった。これに待ったをかけたのが清王朝である。84年、清仏戦争が勃発。翌85年、フランスが勝利した。87年、カンボジアとベトナムを保護国にし、フランス領インドシナを成立させた。
99年、フランス領インドシナは、ラオスも併合した。
タイ(独立国)
タイは、欧米の植民地になることはなかった。
18世紀、ラタナコーシン朝が成立。バンコクに都をおき、現在まで続く王家。
19世紀半ば、ラーマ4世の時代。王室が独占していた貿易を自由化。先進国との外交関係が結ばれていった。
19世紀後半、ラーマ5世が即位。イギリスとフランスの対立をうまく使って独立を維持。外国への留学や外国人専門家を招いて近代化に成功した。