古代③ アジア後半 北方騎馬民族と中国

概要

 ここでは、古代中国史の後半をを見ていきます。漢王朝滅亡後の戦乱の時代とその後に成立した唐王朝の歴史を見ていきます。この時代、多くの北方騎馬民族が中国で王朝が築かれた。隋王朝や唐王朝の王家も北方騎馬民族出身である。前半では、その騎馬民族の歴史を扱う。

中央アジアの遊牧民族

 中央アジアは、農業に適しない土地が多いため、牧畜で生計を立てていた。そのため、中央アジアの人々は。定住することなく、生活拠点を転々とする遊牧民族になった。

 彼らは、騎馬技術に優れていた。鉄砲が登場するまえ、騎馬技術が最高の軍事技術であった。かれらは、交易や略奪によって生計を立てていた。

魏晋南北朝の戦乱期

 ここでは、3世紀から6世紀の中国を見ていきます。この時代は、戦乱の時代であった。

  • 漢王朝の滅亡
  • 三国志の戦乱期(レッドクリフ)
  • 晋王朝が中国を統一
  • (北)騎馬民族の侵入で五胡十六国の戦乱期
    (南)多くの貴族が南へ移住。六朝時代にへはいる
  • (北)騎馬民族の一つ北魏が統一
    (南)江南の開発が進む。貴族文化が花開く。

 2世紀末に漢王朝が衰退。戦乱の時代に入った。3世紀前半には漢王朝が滅亡。三人の皇帝が並び立つ三国時代に入った。劉備や関羽・諸葛亮が活躍した三国志はこの時代の話になる。

 この時代は、戦乱や飢饉で貧困で苦しんだ。この貧困によって、インドから入った仏教が流行した。また、農地政策も改められた。均田制三長制が導入されたのもこの時代である。九品中正という人事制度も導入された。九品中正の上位の人々は貴族と呼ばれ、隋唐王朝時代の政治経済の中心になった。

 一方、旧貴族の人々は南部(長江流域)に移住した。この時代に中国南部の開発が進んだ。一方で、貴族文化が花開いた。これが六朝文化であった。日本も、この時代の南朝へ朝貢を行った。

隋王朝と唐王朝

 ここでは、7世紀から10世紀の中国を見ていきます。実際には中世の中国を見ていくことになる。

 この時代は、北方騎馬民族の鮮卑族が、中国文化を受け入れて成立した隋王朝と唐王朝の時代である。

 ここでのポイントは、蛮族である鮮卑族がいかにして権力をにぎるかである。科挙や律令制はこの観点で作られたものです。

 もうひとつのポイントが、イスラム教の影響である。7世紀にササン朝が滅亡すると、多くのペルシャ人が唐王朝へ亡命した。そのため、唐の長安は国際色豊かな都市になった。