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フランス史

14世紀のフランス(カペー朝) 教皇のバビロン捕囚と百年戦争

14世紀、日本は鎌倉幕府が滅亡。南北朝の戦乱期に入った。
この時代、ヨーロッパは百年戦争と黒死病で暗黒な時代を迎えていた。フランスは、カペー朝が断絶。王位継承権をめぐりイングランドと百年戦争に入った。一方で、教皇バビロン捕囚を行い、ローマ教皇を失墜させた。

教会大分裂(アヴィニョン<フランス>vsローマ)

 09年の教皇のバビロン捕囚で、ローマ教皇庁はフランスのアビニョンになった。それに困ったのが、神聖ローマ帝国(ドイツ)とイングランドである。神聖ローマ帝国はローマでローマ教皇の戴冠を受けるのが習わしであった。しかし、教皇のバビロン捕囚でこれをできない状態にあった。また、イングランドローマ教皇庁のあるフランスと交戦中であった。

 77年、ローマ教皇グレゴリウス11世はアビニョンからローマへ帰還した。しかし、翌78年、グレゴリウス11世が亡くなると、アビニョンとローマでそれぞれローマ教皇が擁立された。教会大分裂大シスマ)である。

 教会大分裂は、40年弱続いた。15世紀初頭、神聖ローマ皇帝ジギスムントが主導したコンスタンツ公会議で教会大分裂は解消された。ちなみにこの公会議でフスは処刑され、フス戦争が始まった。また、ジギスムントは14世紀末、コソヴォの戦いでオスマン帝国に敗れている。

黒死病(ペスト)と農民反乱

  47年、ペスト(黒死病)が流行。ヨーロッパの3人に1人がペストで亡くなったとされる。これはこの世の終わり(最後の審判)を思わせた。失われたキリスト教の信頼が取り戻された。

 その原因としては、13世紀のモンゴルの大遠征で大陸東部の病原菌がヨーロッパにもたらされたたためと言われている。同じこと中国でも疫病が流行している。

 その影響で、58年大規模な農民反乱がおきる。ジャックリーの乱である。

カペー朝の断絶と百年戦争

カペー朝の断絶 ~教皇の呪い?~

 14年、フィリップ4世が亡くなると、カペー朝は断絶した。28年、フィリップ6世が即位。ヴァロワ朝が成立した。アナーニ事件で憤死したボニファティウス4世の呪いかどうかはわからない。
 なお、カペー朝10世紀末に成立。ヴァロワ朝16世紀末ユグノー戦争のころまで続く。 

百年戦争の始まり
  ~vsイングランド~

 ヴァロワ朝の成立に待ったをかけたものがいた。イングランド(イギリス)のエドワード3世である。エドワード3世もフランス国王の血が流れている。
 33年、エドワード3世は、フランスへ進軍した。百年戦争である。
 エドワード3世は、13世紀初頭(第3回十字軍のころ)に失地王ジョン王が失った大陸にあったイングランド領の奪還も視野に入れている。特に重視したのが毛織物の産地フランドル(現在のベルギーなど)とワインの産地アキテーヌボルドーなど)である。

 この戦争では、フランス東部(ドイツ側)のフランドル伯爵とブルゴーニュ公爵はイングランド側についてフランス国王と戦った。また、フランス国王もイングランドの北(イギリス北部)のスコットランドと同盟を結んだ。

教皇のバビロン捕囚
 vsローマ教皇

教皇のバビロン捕囚

 教皇のバビロン捕囚とは、14世紀前半に教皇庁がローマから南フランスのアビニョンに移転していた時期のことを言う。

 ローマ教皇ボニファティウス4世の死後、ローマ教皇についたのはフランス出身のクレメンス5世である。ローマ教皇クレメンス5世は、フランスに恭順な姿勢を示し、09年教皇庁をローマから南フランスのアヴィニョンへ移転した。

ローマ教皇憤死

 フランス国王フィリップ4世がフランス国内教会への課税をすると、ローマ教皇ボニファティウス4世はすぐに反発した。フランス国王フィリップ4世の破門の準備を始めた。

 03年9月、フランスの強硬な反教皇派が、ローマ教皇ボニファティウス4世を軟禁し退位を迫った。ローマ教皇が退位を拒否すると、反教皇派はローマ教皇をボコボコにした。ローマ教皇は命からがらローマにもどった。しかし、ローマ教皇は10月そのまま憤死した。

三部会(国会)の開催

 フランス国王フィリップ4世は、財政難に苦しんでいた。その打開策として、教会への課税を検討した。

 1200年に最後の審判がないことを確認すると、02年フランス国王フィリップ4世は教会への課税の許可をとるため、三部会(国会)を開いた。当時のフランスは、国王の権限で課税できた。特にフィリップ4世が恐れたのは11世紀後半のカノッサの屈辱であった。そのため、国民(聖職者、諸侯・騎士、平民)の意見を聞いた。三部会(国会)は、教会への課税を指示した。

 余談だが、最後の審判とは、この世の終わりにイエス=キリストが復活し、生者も死者も裁かれ、天国と地獄につれていかれるというものである。最後の審判は、1000年後に行われるといわれ、当時の人々は世紀末(00年)が近づくと最後の審判をおそれ寄進を行った。

13世紀末のフランス

 13世紀、前国王ルイ9世は、十字軍の失敗とノートルダム大聖堂の建設で財政をひっ迫させた。

 13世紀末、フィリップ4世がフランス国王に即位した。その重要な課題は、財政再建であった。

 同じ頃、ローマ教皇ボニファティウス4世も即位した。教皇はフランス国王に十字軍編成を依頼した。当然、フィリップ4世はこれを拒否した。

 十字軍の失敗によって、ローマ教皇の権威は失墜した。さらに追い打ちをかけたのが、最後の審判がおきていないことである。イエス=キリストの誕生からすでに1200年以上たっているが、最後の審判の予兆も感じられなかった。

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

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