今日は、大河ドラマの最終回で本能寺の変が放映されます。これに便乗して、本能寺の変が行われたころ(1582年)の世界はどのような時代だったのでしょうか。
中国 改革派の張居正が死罪に
中国は、明朝末期の神宗皇帝の時代である。北虜南倭で苦しみ、財政はひっ迫していた。財政再建で登場したのが張居正であった。
張居正は、一条鞭法で税金の銀への一本化をを進めた。また、海禁政策を緩和。民間による貿易を認めた。また、モンゴルとの交易を再開。北虜南倭問題を解決し、財政再建に動いていた。
しかし、82年、保守派にによって死罪にさせられた。
同じ頃、ポルトガル人居住地になっていたマカオでは、カトリック(キリスト教)宣教師のマテオ=リッチが来訪した。一方、北方では、のちに清王朝をつくる女真族(満州族)がモンゴルから独立したのも、この時代である。
インド インド版織田信長ことアクバル
インドはムガル帝国のアクバル帝の時代である。アクバル帝は、シズヤを禁止し、ヒンズー教徒の支持を集めた。また、軍事面ではベンガル(インド北東部)を征服。北インドを統一した。
本能寺の変の2年前(80年)には、中央アジア系貴族が反乱を起こした。これにたいし、イスラム教徒とヒンズー教徒が連合してこれを鎮圧した。
西アジア オスマン帝国とサファヴィー朝
西アジアでは、2つの強国が存在した。トルコのオスマン帝国とイランのサファヴィー朝である。
イランは、シーア派のサファヴィー朝が存在。本能寺の変の6年後(88年)には、アッバース1世が即位。「世界の半分」といわれたイスファハーンの建設が始まる。
オスマン帝国は、66年にスレイマン1世が退位。全盛期から安定期へ移行していく過程にあった。71年のレヴァントの海戦でスペイン海軍に敗北。一方で、北アフリカの領土は拡大。アルジェリアやチュニジアの王朝を征服した。
ロシア帝国 雷帝イヴァン4世
ロシアは、また北方の小国であった。本能寺の2年後(84年)にイヴァン4世が亡くなった。イヴァン4世は、領土を拡張し、農奴制を強化した。その恐慌的な政策から、雷帝といわれた。イヴァン4世の時代からロシアは皇帝(ツァーリ)の称号を用いるようになった。
ドイツ オーストリア=ハプスブルグ家
16世紀前半、オーストリア=ハプスブルグ家が、スペイン系から独立した。創設したのは、カール5世の弟であるフィルディナント1世である。彼は、ウィーン包囲の活躍により皇帝の地位に就いた。彼は、66年に亡くなった。
本能寺の変の時の神聖ローマ皇帝は、ルドルフ2世であった。当時のドイツ(神聖ローマ帝国)は、宗教改革で混乱していた。ザクセンなど有力諸侯の一部はルター派を信仰するようになった。一方で、オーストリア=ハプスブルク家はカトリックを信仰していた。17世紀に入ると、この対立は表面化。ドイツ三十年戦争に入る。
フランス ユグノー戦争
フランスでは、ヴァロワ家が断絶。王位継承権をめぐり内戦に入った。これがユグノー戦争である。カトリック系の王とカルヴァン派の王が対立したため、ユグノー戦争は宗教戦争に発展した。
本能寺の変の10年前には、サンバルテルミの虐殺がパリで起こっている。
オランダ独立戦争
16世紀後半、オランダはスペインの領土であった。スペインは、ローマ=カトリックを信仰していた。しかし、オランダではカトリックを信仰していた。スペイン国王で信仰深いフェリペ2世は、オランダでカルヴァン派の宗教弾圧を行った。
オランダは、これに反発。カルヴァン派の反乱が始まった。本能寺の変の前年(81年)、オランダはスペインからの独立を宣言。オランダ独立戦争が始まった。
イギリス ヴァージン=クィーン
イギリスは、ヴァージン=クィーンことエリザベス1世の時代である。エリザベス1世を悩ませたのも宗教改革であった。イギリスでは、カルヴァン派(ピューリタン)とローマ=カトリックの対立が続いた。
本能寺の変の12年前(70年)、プロテスタントを支持したために、エリザベス女王はローマ=カトリックから破門されている。
本能寺の変の5年後(87年)、ローマカトリックは、エリザベス女王の暗殺計画を画策した。イングランドに亡命中の元スコットランド女王メアリ=スチュアートによる暗殺計画。この暗殺計画は露呈。メアリ=スチュアートは処刑された。この事件を機かっかけに、イングランドは大国スペインとの戦争に入る。
本能寺の変の翌年(83年)に、エリザベスはアメリカへ探検隊を派遣。ヴァージニア植民地を建設した。現在のヴァージニア州である。
スペイン 太陽の沈まぬ国
16世紀後半、。ヨーロッパ最強国はスペインであった。時の国王は、カール5世の子フェリペ2世である。分割相続でドイツを失ったが、それでもヨーロッパ最強国であったがことは間違いない。また、ローマ=カトリックに強い影響力をお持つとともにローマ=カトリックを守った。
当時のスペインは、新大陸(アメリカ)やフィリピンなどの海外植民を持っていた。
本能寺の変の前年(81年)、王家の断絶したポルトガルを併合した。これにより、ポルトガルが持つアジア・アフリカの植民地も手に入り、「太陽の沈まぬ国」となった。
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