フランス革命 その頃世界は?

 こんにちは、sekaishiotakuです。今週は、フランス革命記念日を記念して、フランス革命をみていきます。今回は、フランス革命が起きていた時、世界はどのような状況だったのでしょうか? 日本から西回りに見ていきましょう。

日本 松平定信の寛政の改革

 日本では、天明の大飢饉をうけて、寛政の改革がおこなわれた。人足寄場を作り、貧困対策がおこなわれた。寛政異学の禁で学問の統制もおこなわれた。

 外交面では、北海道(蝦夷地)が重要視された時代。根室には、ロシア使節のラスクマンが来航。択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てた。

 24年大河ドラマの「べらぼう」の主人公である蔦屋重三郎がなくなったのも、この時代である。

中国 清王朝、乾隆帝の中央アジア侵攻

  中国は、清王朝の乾隆帝の時代。中央アジアへの侵攻がおこなわれた。チベット動乱を鎮圧。グルカ(ネパール)への侵攻もおこなわれた。イギリスの使節マカートニーが乾隆帝に謁見したのもこのときである。

 96年、乾隆帝は譲位。99年に崩御した。譲位がおこなわれた96年、白蓮教徒の乱が起こる。

 朝鮮半島は、李朝の時代。洋書が禁止される。

東南アジア オランダ東インド会社の解散

 東南アジアでは、ジャワ島(インドネシア)のパタヴィアに拠点をおいたオランダ東インド会社が勢力を振るっていた。オランダがフランス革命戦争でフランスに併合。オランダ東インド会社は解散した。

 これを受けて、インドに拠点を置くイギリス東インド会社が東南アジアへ進出してくる。

インド イギリス東インド会社の台頭

 インドはムガル帝国の末期。アウラングゼーブ帝がシズヤを復活したことでムガル帝国は衰退傾向に入っていた。

 七年戦争に勝利したイギリス(イギリス東インド会社)が、分裂状態のインドで勢力を拡大していった。

 イギリス東インド会社は、東インドのベンガル州の徴税権を獲得していた。ここにザミンダール制を導入。地域の有力者を地主(ザミンダール)に任命し、定額の地税を課した。

 また、イギリス東インド会社は、オランダ領セイロン島(現在のスリランカ)を征服した。

中東 オスマン帝国

  中東はトルコ系のオスマン帝国に統一されていた。都は、イスタンブールである。89年、セリム3世がスルタン(皇帝)が即位。92年、ロシアとの国境紛争(露土戦争)が終わる。98年には、ナポレオンのエジプト遠征を受ける。ここで活躍したのが、のちにエジプトを独立させるムハンマド・アリーである。

ロシア エカチェリーナ2世

 ロシアは、エカチェリーナ2世の時代である。東方へ拡大してきた時代である。91年、日本人漂流民の大黒屋光太夫がエカチェリーナ2世に謁見。92年、ラスクマンを根室に派遣した。

 96年、エカチェリーナ2世が崩御。息子が皇帝に即位。01年、皇帝が暗殺。息子のアレクサンドル1世が即位。ナポレオンのロシア遠征を撃退する。

東欧 ポーランド分割

 東欧は、ポーランド王国という大国があったが、18世紀後半からポーランド分割が始まる。

 93年1月、ロシアとプロイセンが第2次ポーランド分割を実施。翌94年、ポーランドで大反乱が起こる。その中心人物が、アメリカ独立戦争に義勇軍として参戦したコシューシコであった。翌95年、この大反乱を受けて、ロシア・プロイセンとオーストリアで第3次ポーランド分割を実施。ポーランド王国は滅亡した。

 ナポレオン戦争で独立を回復したが、ナポレオン戦争が終結するとロシア帝国の支配下に入った。

中欧 オーストリア・ドイツ マリー・アントワネットの義実家

 中欧は、神聖ローマ帝国が名目上は存在していたが、実際は小国が乱立している状態であった。その中に2つの大国が存在した。神聖ローマ皇帝が支配するオーストリアとのちにドイツになるプロイセンである。

 神聖ローマ皇帝は、マリー・アントワネットの兄である。91年6月、ルイ16世のヴァレンヌ逃亡事件がおこる。これを受けて、8月、プロイセンとともにフランス(革命政府)に宣戦布告した(ピルニッツ宣言)。93年1月、プロイセンは、ロシアとともに第2次ポーランド分割。95年4月、プロイセンはフランスと講和。

 文化面では、音楽家のモーツァルトや数学者のガウスが活躍したのもこの時代である。

イギリス 小ピット首相

 イギリスは、名誉革命を経て、立憲君主制が確立した。

 イギリスは、フランス革命に否定的であった。政治家エドマンド=バーグが『フランス革命の省察』フランス革命を批判。小ピットが対仏大同盟を結成した。

 また、フランス革命干渉戦争でオランダがフランスの支配下に入ると、オランダの勢力圏であった。セイロン島(スリランカ)や東南アジアへ進出した。

 90年代後半に入ると、アイルランド反乱が起こる。これがエジプト戦争に大きな影響を与えた。

 経済学の父で、自由主義経済を唱えたアダム=スミスが死去。98年、マルサスが『人口論』を発表した。19世紀に入ると、重商主義から自由貿易主義へ転換していった。

オランダ・スペイン・イタリア

 オランダは、ヨーロッパでは小国であったが、東南アジアや東アジアで有力なオランダ東インド会社があった。96年、オランダはフランスの支配下に入った。

 スペインは、フランスと同じブルボン朝の時代である。93年にの第1回対仏大同盟に参加。96年に講和した。ポルトガルは、イギリスの支援で革命政府に抵抗し続けた。

 イタリアは、まだ統一国家はなく、中部イタリアのローマ教皇領を中心に小国に分かれていた。96年、ナポレオンが総司令官としてイタリアへ侵攻。北イタリアにミラノを首都にした共和国を建国した。

アメリカ 初代ワシントン大統領

 アメリカは、独立戦争に勝利し、国家が形成していく時代である。89年、独立軍総司令官であったワシントンが初代大統領に就任した。翌90年、ベンジャミン=フランクリンが死去。ワシントン大統領は、フランス革命に対して、中立宣言を出した。97年、ワシントン大統領は、3選目を辞退。99年になくなる。

 00年、ルイジアナがナポレオン征服されたスペイン(イスパニア)からフランスに譲渡される。

また、ホイットニーが綿織機が発明される。

アメリカ ハイチ革命とハワイ王国の成立

 フランス革命が起こると、フランス領であった中米のハイチでハイチ革命が発生。ハイチ共和国が成立。これをきっかけに中南米の独立運動が展開されていく。

 太平洋では、カメハメハ大王がハワイ王国を建国。ハワイ諸島を統一した。このハワイ王国は、19世紀末にアメリカに併合されるまで存続した。

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