ドイツ関税同盟
19世紀前半、ドイツの商工業者は、イギリス製の輸入品に悩まされていた。イギリスは18世紀後半に産業革命が発生。イギリスは安価で大量な工業製品を作ることができた。そのため、ドイツの人々はドイツの商工業者を守るために、イギリス製品関税をかけた。これがドイツ関税同盟である。
28年、プロイセン主導のプロイセン関税同盟、オーストリア主導の中部ドイツ関税同盟、それと南ドイツ関税同盟がそれぞれ成立。
34年1月、プロイセンを中心としたドイツ関税同盟が成立。このこの関税同盟は、50年代の普墺戦争時には、オーストリアを除くほとんどのドイツ諸国が参加した。
ドイツ関税同盟に奔走したのはドイツの経済学者リストであった。それまでの経済学の主流はイギリスの経済学者アダム=スミスらの自由貿易論であった。この考え方は、関税などの貿易障壁を取り除けば、世界全体が豊かになるという考え方である。これに対し、リスト氏は、工業後進国では、産業育成のために関税などの貿易障壁は必要であるという考えをしめした。これが保護貿易論である。
産業革命
ドイツ関税同盟が成立した翌年(35年)には、ドイツ初の鉄道が開通した。これに尽力したのが、ドイツ関税同盟を発足させたリスト氏であった。
ドイツは、ドイツ関税同盟と鉄道で40年代から産業革命期に入った。その中心地は、10年代のウィーン会議で獲得したラインラントであった。ラインラントは、地下資源が豊富で石炭や鉄鉱石がとれた。そのため、ドイツの産業革命は、製鉄業などの重工業を中心に発展した。
39年、少年労働の禁止
その他の出来事
エジプト=トルコ戦争
20年代にギリシャ独立戦争に負けたオスマン帝国(トルコ)では、エジプト=トルコ戦争が発生。イギリス、フランス、ロシアを巻き込んだ戦争となった。
第2次エジプト=トルコ戦争では、オスマン帝国が劣勢になると、プロイセンとオーストリアは、オスマン帝国側を支援。
40年のロンドン会議でエジプトの独立が承認された。この会議は、エジプトを支援したフランス参加できず、オスマン帝国側のロシア、イギリス、プロイセンとオーストリアに当事国のエジプト・オスマン帝国の6カ国で行われた。
フランス二月革命
30年、フランスで七月革命が発生。大資本家の支持を得た七月王政が成立した。イギリスでも選挙法改正で資本家に参政権が与えられた。この時期から、財界と政治の結びつきが強くなっていった。
ドイツ各国では、ブルジョワジーによる暴動が発生した。しかし、王家と農園領主が結びついてこれを弾圧した。
30年代のドイツの王室
35年、フィルディナント1世がオーストリア皇帝に即位。37年、ドイツ北西部のハノーヴァーがイギリス王室と分裂。40年、フリードリヒ=ヴィルヘルム4世がプロイセン皇帝に即位。
文豪 ゲーテ
ドイツの文豪ゲーテは、32年にこの世を去った。
ゲーテは、18世紀半ばにフランクフルトの裕福な家庭に生まれた。弁護士や政治家として名をあげ、ナポレオン戦争にも参加した。
『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』などの作品をこの世に残した。
ゲーテは、シラーとともにドイツ古典派の代表的な文豪とされている。芸術分野における古典派とは、キリスト教が浸透する前のギリシャローマ時代の考え方に基づいた芸術活動を行う人たちを指す。キリスト教的(伝統的)な考え方を否定し、個人の尊厳を尊重した作品が多い。