前回の復習 3世紀のドイツ
3世紀、ゲルマン民族はローマ帝国の傭兵として働くようになった。当時のローマは軍人皇帝の時代であった。
さて、今回で、ドイツ編は最終回です。最後に2世紀以前のろーまていこく
ローマ vs ゲルマン
ゲルマンの人々は、紀元前5世紀ごろから、ライン川を渡り、フランス(ガリア)へ侵入していたといわれる。この頃からローマの人々と交流があったようだ。
ローマ帝国とゲルマン人が争うようになったのは、紀元前1世紀のことである。カエサルのガリア遠征である。カエサルはライン川を渡り、ゲルマン民族と戦い撃退された。
1世紀、皇帝アウグストゥスもゲルマン人居住区へ侵攻し、敗北した。
これらの戦いを通じて、ライン川とドナウ川がローマ帝国とゲルマン民族の国境になった。これが破られるのが4世紀のゲルマン民族大移動の時代である。
ローマ人によるゲルマンの研究
タキトゥスの『ゲルマニーア』
2世紀初頭の五賢帝の時代に、ローマ人のタキトゥスが『ゲルマニーア』を著した。
この書物によると、ゲルマン民族は小国に分裂していた。彼らは、重要な事項を全員で集まって決定していた。この会議を民会という。ゲルマン民族は古代ギリシャのように直接民主制がとられていたようだ。
カエサルの『ガリア戦記』
ゲルマン民族の生活を分かる資料として、カエサルの『ガリア戦記』がある。これは、1世紀に、当時ガリアと呼ばれていたフランスへの遠征の様子を描いた書物である。
これによると、ゲルマン人は、ライン川の東で生活。多くの小国家に分裂し、互いに争っていたようだ。頻繁に戦争が行われていたため、農耕があまり行われず、牧畜と狩猟で生活していた。衣服は、毛皮のみであった。
ドイツの始まり
インド=ヨーロッパ語族
ここからは、考古学の観点からヨーロッパの歴史を見ていきます。人々を分ける単位として、3つの区分があります。
- 人種 身体的な特徴による分類
- 語族 話している言語による分類
- 民族 言語に加えて、宗教や習慣などを分類
人種のほうが大きなくくりで、民族のほうが小さなくくりになります。
人種は、大きく3つに分かれます。アジアの人々に多いモンゴロイド(黄色人種)、アフリカの人々に多いネグロイド(黒色人種)とヨーロッパの人々に多いコーカソイド(白色人種)である。さらに、オーストラリアの先住民などのオーストラロイドを加えて四大人種という。
インド=ヨーロッパ語族は、語族の一種である。代表例が英語である。ちなみに、日本語はどの語族に属するかまだ分かっていない。
インド=ヨーロッパ語族は、ユーラシア大陸西半分を占める。文字通りインドからヨーロッパに広がる言語である。その特徴には、次なようなものがある。単数形と複数形の区別がある。3単元のsはその一つである。また、英語ではほとんどの亡くなったが、言葉に性の概念が持ち込まれている。ドイツ語やフランス語を勉強すると男性名詞や女性名詞という言葉が出てくる。
ビーカー文化
紀元前2600年から1900年にヨーロッパに広まった文化圏。日本の土器と異なり、コップのように口が広くそこが平らな土器を使用していた。その土器が理科の実験で使うビーカーの形に近いことからビーカー文化といわれる。
クロマニヨン人
ここまでくると、すでにドイツ史ではないが、、、。ヨーロッパの人々の先祖はクロマニヨン人といわれている。最初に発見されたのが1860年代のフランスのクロマニヨンだったのでクロマニヨン人と呼ばれるようになった。クロマニヨン人は、現代人と同じ新人と分類されている。
新人は、約20万年前にアフリカで誕生。約5万年ほど前にユーラシア大陸に入ったとされている。クロマニヨン人がヨーロッパで活動していたのは、4万5000年前から1万5000年前といわれている。比較的に温暖な南フランスやスペインなどで多く発見されている。南フランスのラスコー遺跡やスペインのアルタミラ遺跡が有名である。骨や角で作った骨角器を使用。投げやりなどをで狩猟を行っていた。また、優れた洞穴絵画を残した。
ネアンデルタール人
ネアンデルタール人は、約20万年前から約3年前までヨーロッパに広く分布していた人種である。1850年代のドイツのネアンデル渓谷(ネアンデルタール)で発見されたのでネアンデルタール人と呼ばれる。考古学的には、旧人とされており、クロマニヨン人と生物学的なつながりはないとされている。