1840年代のアメリカ アメリカ=メキシコ戦争

 1840年代、アメリカはアメリカ=メキシコ戦争に勝利。カリフォルニアなどをメキシコから獲得し、ついにアメリカの領土は西海岸(太平洋岸)まで広がった。

ゴールドラッシュ

 アメリカ=メキシコ戦争に勝利したアメリカは、48年にメキシコからカリフォルニアの割譲を受けた。割譲を受けた48年カリフォルニアで金鉱が発見された。

 多くの人々が一獲千金を求めたカリフォルニアへ向った。49年だけでも10万人以上が移住した。彼らはフォーティーナイナーズと呼ばれた。NFLのサンフランシスコフォーティーナイナーズの由来である。カリフォルニアへ移住した白人はネイティブアメリカン(インディアン)の土地を奪って、都市を作った。

 ゴールドラッシュ期には多くの中国人がカリフォルニアへ移住した。また、ジョン万次郎もゴールドラッシュ期のカリフォルニアを訪れている。

 ジーンズメーカーのリーバイスはこの時期に設立された。リーバイスは、金採掘者向けに丈夫な作業着を作成した。それがジーンズである。

 カリフォルニアは50年には州に昇格した。その際、奴隷州になるか自由州になるかでもめることになり、これが50年代の奴隷制度反対運動へつながった。

準州
権利連邦政府への加入が認められる自治政府がおける
要件自由人の男性が6万人自由人の男性が5千人

アメリカ=メキシコ戦争

 アメリカ西部の大部分はメキシコであった。30年代に入るとメキシコ領のテキサスへアメリカ人の入植が加速した。アメリカ人入植者によって、テキサスはメキシコから独立した。

 45年、テキサスがアメリカ合衆国に併合されると、翌46年、アメリカ=メキシコ戦争が勃発した。若き議員リンカンはこの戦争に反対していた。

 マニュフェスト=ディスティニー(明白なる天明)

 アメリカ=メキシコ戦争では、のちに日本へ行くペリー提督も参加している。

 

 このころ、イギリス(カナダ)とオレゴン協定が成立。共同管理していたアメリカ西北部は分割された。これは現在のオレゴン州、ワシントン州、アイダホ州である。

ホイッグ党の躍進

 南北戦争以前、民主党とホイッグ党の二大政党制が確立されていた。民主党は南部と西部の農民が支持基盤となり、連邦政府の権限の縮小を進めていた。一方、ホイッグ党は北部の資本家が主な支持基盤であり、イギリスとの先頭に備えて連邦政府の強化を進めていた。

 30年代は、民主党が圧倒的な支持を獲得していた。40年代に入るとアメリカ=メキシコ戦争で活躍した軍人出身のホイッグ党大統領が次々誕生した。ちなみに、リンカンはホイッグ党に所属していた。

東アジアへの進出

1840年代のヨーロッパ

 ヨーロッパでは、市民革命の真っただ中にあった。とくにフランス二月革命から始まる48年革命はヨーロッパ中を駆け巡った。

清王朝と交易を始める

 42年、清王朝はアヘン戦争でイギリスに敗れる。これにより、清王朝は鎖国をやめて開国した。

 44年、アメリカは清王朝と望厦条約(ほうか条約)を締結。清王朝との交易が始まった

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