1810年代のポーランド
10年代のヨーロッパは、ナポレオン戦争が終結。ウィーン会議でウィーン体制が構築された。
ポーランドは、このウィーン会議でワルシャワ大公国がロシア帝国と同君連合になる。
1810年代の国際情勢
日本は、江戸時代。徳川家斉の大御所政治が展開。景気が良く、江戸を中心とした化政文化が花開いた。
中国は、清王朝後期。
ヨーロッパでは、ナポレオン戦争が終結。ウィーン体制が構築された。
ナポレオン、プロイセン(ドイツ)に勝利
前史)ナポレオン、ロシア・オーストリア連合軍に勝利
17世紀後半、ポーランドは、プロイセン・オーストリアとロシアに分割された。(ポーランド分割)。そのような中、西欧では、フランス革命が17世紀末に勃発。ここで台頭したのが、ナポレオンである。
04年12月、ナポレオンの戴冠式を実施。これを受けて、05年に第三回対仏大同盟が結成された。
05年12月、アウステルリッツの三帝会戦で、ナポレオンは、オーストリア・ロシア連合軍に勝利した。
イエナの戦い
アウステルリッツの三帝会戦の勝利を受けて、翌06年にドイツにライン同盟を結成した。中立国のプロイセンは、これを脅威にうけてロシア帝国と同盟を結成。
06年10月、プロイセンとナポレオン(フランス)との間で家な戦いが起こる。これにナポレオンが勝利した。
ワルシャワ大公国建国
11月、ナポレオンは、ベルリンでイギリスへの経済制裁を実施を発表した。大陸封鎖令(ベルリン勅令)である。
また、プロイセンに対して、テルジッド条約で領土の独立を認めさせた。その1つが、ポーランドのワルシャワ大公国である。
ワルシャワ大公国
ワルシャワ条約は、07年のテルジット条約で建国。プロイセンの旧ポーランド領で成立した。
15年のウィーン条約で、ロシアとの同君連合になり、消滅した。