かつて「ペルシア」の名で世界に知られ、 神秘的な絨毯や美しい詩の国として語られたその地。
1930年代、この国は一人の指導者のもとで、 「近代国家」への激動の変貌を遂げていました。
パフラヴィー朝の創始者、レザー=シャー。 彼が進めた改革は、イランの歴史を大きく変えることになります。
今回は、この時代のイランの歴史をかんたんに、 わかりやすく紐解いていきましょう!
【この記事のポイント】
- レザー=シャーの改革: 強引なまでの近代化と「脱イスラーム」
- 「イラン」への国号変更: なぜ名前を変えたのか?
- 石油とイギリス: 資源を巡る熱い駆け引き
- 鉄道建設: 外金に頼らない「国家の誇り」
1. 「中東のナポレオン」レザー=シャーの挑戦
1920年代、それまでイランを治めていたカージャール朝は、 外国の言いなりでボロボロの状態でした。
そこへ現れたのが、軍人出身のレザー=ハーン(後のレザー=シャー)です。 彼は1925年に新しい王朝「パフラヴィー朝」を開きました。
彼は隣国トルコの英雄ケマル=アタテュルクをモデルに、 強力な力で国を作り替えようとします。
- 法律と教育の改革: 宗教勢力から権限を奪い、ヨーロッパ風の法律や学校を導入しました。
- ファッションの強制: 1936年には女性のベール着用を禁止(カシュフェ・ヘジャーブ)。 男性には欧米風の帽子を被らせました。
これらは都市部のエリートには歓迎されましたが、 農村の保守的な人々には「伝統の破壊だ!」と強い反発を招きました。
この時の不満が、数十年後の「イラン革命」に繋がっていくことになります。
2. なぜ「ペルシア」を捨て、「イラン」と名乗ったのか?
1935年、政府は世界中に「これからは『ペルシア』ではなく、 『イラン』と呼んでください」と正式に頼みました。
実は「ペルシア」というのは、古代ギリシア人が、 イランの一部の地域の名にちなんで勝手につけた名前(他称)だったのです。
一方「イラン」とは、古くから使われてきた 「アーリヤ人の土地」を意味する自分たちの呼び名(自称)でした。
この変更には、二つの大きな狙いがありました。
- 植民地っぽさからの脱却 :列強が勝手に使ってきた呼び名を拒絶し、 「自立した国家」としてのプライドを示すため。
- 国民を一つにまとめる :古代帝国の栄光と結びつき、 多民族が住む国内を「イラン人」としてまとめ上げるため。
これにともない、「アングロ・ペルシアン石油会社(APOC)」は、「アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)」に社名変更をした。
3. 世界恐慌と「黒い黄金(石油)」を巡るバトル
1929年に始まった世界恐慌は、イラン経済にも大ダメージを与えました。
レザー=シャーは国営工場を次々と作り、 経済の自立を目指しますが、大きな壁が立ちふさがります。 それが、イランの宝である「石油」の利権です。
当時、イランの石油はイギリス資本のアングロ=ペルシア石油会社(APOC)に、 ほぼ独占されていました。
1932年、レザー=シャーは「不公平な契約だ!」と怒り、 なんと一方的に契約破棄を宣言します。
最終的には交渉の末、もらえるお金を増やすことに成功しました。 しかし、この一件でイラン人の間に「イギリス不信」が深く刻まれました。
これが、後にイランがドイツへ接近する一因にもなったのです。
4. 国家の背骨:イラン縦貫鉄道の奇跡
1930年代、近代化のシンボルとなったのが「イラン縦貫鉄道」です。 カスピ海からペルシア湾まで、約1,400kmを結ぶ巨大プロジェクト。
特筆すべきは、「外国からお金を借りなかった」ことです。
当時の開発途上国が大きな工事をする時は、 外国から借金をするのが普通でした。
しかし、レザー=シャーは列強に支配されるのを恐れ、 砂糖や茶に特別税をかけて、自分たちの資金だけで作り上げたのです。
1938年に全線開通したこの鉄道は、 バラバラだった国内を一つに繋ぐ「国家の背骨」となりました。
🎭 1930年代のイラン・豆知識
- 街並みの変化: テヘランには古代のデザインを取り入れた、 カッコいい近代建築が次々と並びました。
- テヘラン大学の誕生: 1934年、国内初の近代的な総合大学が設立されました。
- 外交の駆け引き: イギリスとソ連に対抗するため、ドイツと仲良くなりました。 これが後の第二次世界大戦で、波乱を呼ぶことになります。
📍 歴史の足跡を感じるスポット
- ゴレスターン宮殿(テヘラン): レザー=シャーの戴冠式が行われた世界遺産。 伝統と近代が混ざり合った、豪華な空間です。
- イラン国立博物館: 古代ペルシアの宝が展示されています。 建物自体も1930年代の近代化を象徴する傑作です。
1930年代のイランは、古き良き「ペルシア」のイメージから、 力強く自立した「イラン」へと生まれ変わろうとした時代でした。
その光と影を知ることで、現代の中東のニュースも、 少し違った視点で見えてくるかもしれませんね!