1890年代のフランス 第三共和政 露仏同盟とアフリカ横断政策

前回の復習 1900年代のフランス

 04年、日露戦争が始まる。フランスとイギリスはこの戦争で中立の立場を取るために、英仏協商が成立。これをきっかけにイギリス、フランスとロシアの三国協商が成立する。

 これにより、イギリスvsドイツの第1次世界大戦の構図が完成する。

1890年代の国際情勢

 1890年代、日本は明治時代。日清戦争で清王朝に勝利した。

 90年に、ドイツ宰相ビスマルクが引退。これにより、ビスマルク外交が崩壊。イギリス、フランス、ドイツのガチンコの帝国主義時代に入っていく。

 95年、清王朝が日清戦争に敗れると、中国分割が始まる。

露仏同盟

ビスマルク体制

 88年、ヴィルヘルム2世がドイツ皇帝に即位。90年、宰相ビスマルクを引退させた。ロシアは、ドイツと再保障条約を締結していた。しかし、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、90年に更新せず、失効した。これにより、ビスマルクの協調外交は崩壊した。

露仏同盟

 90年、再保障条約が失効。翌91年、フランスとロシアは政治協定を結び、軍事同盟の交渉を開始した。

 11年9月、イタリアは、オスマン帝国領リビアへ侵攻。イタリア=トルコ戦争が勃発する。

 11年11月、第2次モロッコ事件は、戦争を回避

 翌12年3月、フランスはモロッコを保護国化。

 12年10月、第1次バルカン戦争が勃発。同10月、イタリアはリビアを保護国化。これにより、フランスとイタリアの間にあった北アフリカ争奪戦は終結した。

 13年6月、第2次バルカン戦争。

アフリカ横断政策

アフリカ横断政策

アルジェリア

マダガスカル島

イギリスとファショダ事件

イタリアとチュニジア問題

 この時期、フランスは、東南アジアのベトナムを植民地にしていた。このベトナムは、独立運動を展開していた。そのため、多くの留学生を日本に派遣した。

 しかし、フランスは、日本と日仏協商を締結。日本政府は、独立阻止に動いていた。そのため、独立運動の中心であったベトナム光復会は、フランス勢力圏の広東省で設立。中華民国の国民党政府がこれを支援した。

ベトナムと中国分割

ベトナム

 14年6月、第一次世界大戦が勃発。

 8月、ドイツ帝国がロシア・フランスに宣戦布告。これにより、フランスも

 17年4月、アメリカがイギリス陣営で参戦。11月、ロシア革命(十月革命)でイギリス陣営から離脱。平和に関する布告を発表。

 翌18年1月の一般教書演説で、ウィルソンの平和銃四原則を発表。

 8月、ドイツ革命で第一次世界大戦が終結する。

日清戦争と三国干渉

 29年、世界恐慌。

 30年、ロンドン軍縮条約

中国の半植民地化

義和団の乱と8カ国連合軍

ドレフュス事件

保守派のクーデター)ブーランジェ事件

 80年代末、反共和主義派による軍事クーデターが起こる。これを指揮したのは、元陸軍大臣のブーランジェである。

 この事件によって、保守派が台頭してきた。これが次の事件を引き起こす。

汚職事件)パナマ事件

 パナマ事件とは、スエズ運河建設で名声を得た建築家レセップスが立ち上げた会社で、パナマ運河の建設運営を行う会社であった。しかし、建設は難航。資金難になった。

 レセップスは、フランス政府に富ぐじ(現在で言う宝くじ)の発行を要請。このとき、国会議員に賄賂が送られていた。

 国民は、大いに怒り、保守派(反共和派)を指示するようになった。

 ちなみにパナマ運河会社はこの後倒産。アメリカがこの事業を引き継ぐことになる。

ユダヤ人とドレフュス事件

文化

ルノワール

ゴーギャン