1890年代の世界 日清戦争と中国分割

 1890年代は、現代の始まりの時代である。その始まりは、ビスマルクの失脚である。これにより、ビスマルク体制は崩壊し、イギリスとドイツが対立していくようになる。露仏同盟が締結されたのもこの時代である。

 植民地政策の舞台は、アフリカから東アジア・太平洋地域に変わった。清王朝(中国)が日清戦争に敗北すると中国分割が始まった。

各国の状況

1900年代 日露戦争と帝国主義

 1900年代、中国分割によって世界の大部分は分割されつくした。そのため、植民地のあちこちで列強同士の紛争が起こるようになった。

  一方で、ブーア戦争や義和団の乱など植民地の人々の抵抗も次第に大きくなった。そのため、列強諸国は軍事力を強化する必要になった。

 その中で、日露戦争は勃発した。日露戦争が終結するイギリスの脅威はロシアからドイツに変わった。イギリスは、フランス・ロシアに接近。三国協商が完成した。

1880年代
大日本帝国憲法とアフリカ分割

 アフリカの探検家スタンリーが帰国すると、アフリカのない陸地が鉱物資源が多く取れることが判明。列強各国はアフリカの植民地化を進めた。そのような中、ビスマルクが国際会議を開き、アフリカの植民地化のルールを決定した。そのため、列強同士は争わずに急速にアフリカの植民地化がすすんだ。

年代別後半

1900年 義和団事件(北清事変)

 中国分割で、清王朝の民衆は不満がたまった。清王朝の民衆は、義和団を結成。北京の列強の公使館を襲った。清王朝政府は、これを利用して列強を国外追放しようとした。しかし、日本を含む列強8か国は共同出兵。この反乱を鎮圧した。この事件を義和団事件(北清事変)という。

1899年 南アフリカ戦争勃発

 日本は、治外法権条項を撤廃させた。その廃棄には3点ある。大日本帝国憲法などの法整備の完了。日清戦争の勝利。イギリス軍が南アフリカ戦争で忙しかった。

 この頃、中国分割はほぼ終了していた。米西戦争で出遅れたアメリカは門戸開放宣言をだすも、当時はそれほど効果がなかった。

 イギリスの植民地であった南アフリカでは、南アフリカ戦争(ブーア戦争)が勃発した。

1898年 米西戦争

 日本は、板垣退助・大隈重信連立政権が成立。文化面では正岡子規が『歌よみに与ふる書』を発表。

 中国分割したの清王朝では、戊戌の政変が起こる。

 アフリカでは、イギリス軍とフランス軍によるファショダ事件が勃発。しかし、これは平和裏に解決した。

 アメリカは、米西戦争でスペインに勝利。フィリピンを獲得。この時にアメリカはハワイ王国を併合した。しかし、この戦争によってアメリカは中国分割に出遅れた。

 キュリー夫妻はラジウムを発見した。

1897年 大韓帝国成立

 下関条約で、朝鮮は完全な独立国となった。朝鮮は国号を大韓帝国に改めた。

 日本は、日清戦争の賠償金で金本位制を始める。医学博士の志賀潔は赤痢菌を発見。島崎藤村『若菜集』や尾崎紅葉『金色夜叉』が発表される。

1896年 近代オリンピックが始まる

 アテネで、第1回近代オリンピックが行われる。

年代別前半

1895年 下関条約と三国干渉

 日本は、日清戦争で清王朝に勝利。下関条約を締結。しかし、ロシアなどの干渉が入る。(三国干渉)。清王朝が負った多額の賠償金によって、中国分割が始まる。

 日本では、五千円札(2021年時点)の肖像画の樋口一葉が『たけくらべ』を発表。海外では、レントゲンがX線を発見。マルコーニが無線電信を発明。

1894年 日清戦争と露仏同盟

 東アジアでは、日清戦争が始まる。

 ロシアは、ドイツと再保障条約が締結できなかったので、フランスと露仏同盟を締結。これにより、フランス資本がロシアへ流入した。

1893年

1892年

1891年 タバコ=ボイコット運動

 日本では、警官がロシア皇太子を切りつける大津事件が起こる。

 イスラム圏のイランでは、タバコ=ボイコット運動が起こる。

1890年 第1回帝国議会

 日本は、大日本帝国憲法に基づいて、帝国議会選挙と帝国議会を開催。

 北里柴三郎が、破傷風の血清治療法を発見。森鴎外『舞姫』が発表。

 アメリカでは、反トラスト法が成立。