1920年代のフランス 戦間期の第三共和政

前回の復習 1930年代のフランス

1920年代の国際情勢

外交)ドイツ

ワシントン会議

 海軍軍縮条約

 九カ国条約(中国問題)

 四カ国条約(太平洋問題)、この条約で日英同盟が破棄された。

フランス共産党

強硬外交でルール占領

 22年、ポワンカレ右派政権が成立。翌23年1月、フランス軍は、ベルギーとともにドイツのルール工業地帯を占領した。

 ただ、強引なやり方で、フランスは国際的な批判を浴びる。これにより、翌24年6月ポワンカレ右派政権は退陣した。

協調外交とドイツ賠償金問題

 24年6月、左派政権が成立。強硬外交から協調外交に転換した。

 24年、アメリカは、ドーズ案を提示。

 翌25年、ドーズ案をもとにロカルノ条約が締結。フランスは、ルール工業地帯を返還した。ドイツは国際連盟に加入した。

 28年、フランス、アメリカの提唱でパリ不戦条約を締結。これが、ニュルンベルグ裁判、東京裁判の根拠になる。

世界恐慌でドーズ案が破棄

 29年、世界恐慌。

 30年、ロンドン軍縮条約

EUの成立

ドイツ統一

ドイツの賠償金問題

ナチスドイツの景気対策

 45年11月、ド=ゴールが臨時政府首相に

ベトナムの独立運動

ドイツ、再軍備とラインラント進駐

 95年、シラク大統領が誕生。シラク大統領は、保守政党RPAの政治家である。就任直後の核実験を実施した。

スペイン内戦

 46年1月、選挙での敗北を受け、ド=ゴール臨時政府首相が辞任。社会党政権が成立した。この政権には、共産党も参加した。

ミュンヘン会談

第2次世界大戦へ

中華人民共和国の承認

軍縮交渉

日本ドイツの国際連盟脱退

 第2次世界大戦以前、ベトナムは、フランスの植民地であった。しかし、30年代に日本軍が進駐。フランスが

 45年8月、日本はポツダム宣言を受諾。

ジュネーブ講和会議が流れる

 イラクを支援。フランス、中国とソ連で支援の90%を

ロンドン会議軍縮会議

カンボジア独立

アフリカ戦線

パリ解放

ヒトラー自殺

FIFAワールドカップ開催

アルベールビル冬季オリンピック

 公共の場でのスカーフの禁止