1940年代前半のフランス ナチスドイツの支配

前回の復習 1940年代後半のフランス

1940年代前半の国際情勢

第二次世界大戦概論

3つの勢力

 世界大戦は、ヨーロッパでおきたNo1のイギリスとNo2のフランスとの戦争であった。第2次世界大戦は3つの勢力に別れた。

 1つ目は、イギリス・フランスを中心とした自由主義勢力である。

 2つ目は、ナチスドイツである。

 3つ目は、ソ連である。当時のソ連は、スターリンの独裁体制であった。

4つの時代区分

 第2次世界大戦は4つの時代区分になる。

 最初は、ポーランド分割である。39年9月、ドイツとソ連が手を結んで、ポーランドを分割した。これにより、第1次世界対戦で独立した多くの東欧諸国は独ソの支配下に入った。フランスは、ドイツがポーランド侵攻すると、宣戦布告を実施。しかし、イギリスもフランスもこれを静観した。

 2つ目は、パリ陥落である。ドイツは、ポーランド分割を終えると、軍隊を西へ送った。40年4月、ベネルクス3国へ侵攻。翌5月には、フランス侵攻。6月にパリは陥落した。

 3つ目は、41年6月の独ソ戦開始。41年8月、アメリカとイギリスが大西洋憲章を発表。ソ連がこれに参加。イギリス陣営とソ連陣営が接近した。

 ドイツの敗北である。43年、ドイツ軍はスターリングラードの戦いで敗北。以後、ドイツは劣勢になる。

第二次世界大戦の始まり

ポーランド分割

 39年8月、独ソ不可侵条約

 翌9月、ドイツ軍がポーランドへ侵攻。

北欧へ侵攻

 翌40年4月、ドイツ軍は、北欧のノルウェーとデンマークを征服。

オランダ・ベルギーへ侵攻

 5月、オランダ・ベルギーを征服。

パリ陥落

 6月、ナチスドイツがパリを陥落

パリ陥落後のフランス

パリ陥落

 ドイツ軍は、40年4月、軍隊を西へ向けた。ベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)へ侵攻。5月には、フランスへ侵攻。6月、パリは陥落した。

 多くのフランス国民は、ドイツ軍を歓迎した。反英感情と前政権の左派政権への反発からである。

 パリが陥落すると、イタリアもフランスに参戦した。一方で、スペインは中立を維持した。

ヴィシー政府

 パリが陥落すると、パリを含む北部はドイツ領になった。40年7月、南部には、ナチスドイツの傀儡政権であるヴィシー政府が成立した。トップは、ペタン首相である。親ナチス派の他、左派政権に反発していた右派の人々も参加した。

 ヴィシー政府が成立すると、ドイツと講和。さらに、南フランスに侵攻したイタリアと講和。

 9月、日独伊三国同盟が成立。このとき、ヴィシー政府は、日本軍の北部インドシナに進駐した。

 9月、芸術に造形の深いヒトラーは、ラスコーで洞窟壁画が発見された。

 10月、ヴィシー政府はユダヤ人の迫害を行った。

 このヴィシー政権に反発する勢力が2つあった。1つ目は、イギリスに亡命したド=ゴール将軍の自由フランス。もう一つは、フランス国内に残った共産党員である。

レジスタンス

 41年6月、独ソ戦が始まる。フランス共産党は、ゲリラ活動でナチスドイツに抵抗を始める。これがレジスタンスである。一方、ド=ゴール将軍は、拠点をイギリスからフランス植民地のアルジェリアに移す。

 42年11月、ヴィシー政府は北アフリカのモロッコ・アルジェリアでアメリカ・イギリス連合軍に敗北。これにより、ヴィシー政府は崩壊。ナチスドイツはフランス全土を占領した。

 ドイツが劣勢になると、ナチスドイツの占領政策に反発するものも多くなった。これにより、フランス国内でゲリラ活動が展開された。これが、レジスタンスである。その中心は、共産党員であった。

ド=ゴール将軍

 43年12月、アメリカ、イギリスとソ連の初の首脳会談が開かれた。テヘラン会談である。ここでノルマンディ上陸作戦が決定された。

 44年6月、アルジェリアでド=ゴール将軍がフランス共和国臨時政府を樹立。同じ月、ノルマンディ上陸作戦が実施。イギリス・アメリカ連合軍が北からフランスに上陸した。

 44年8月、パリ解放。翌9月、臨時政府がアルジェリアからパリに戻る。

 ドイツが劣勢になると、フランス国内ではゲリラ活動が展開された。それを

フランス領インドシナ

 45年4月、ソ連軍がベルリン包囲。これを受けて、ヒトラーは自殺。翌5月、ドイツは降伏した。6月、ドイツは、米英仏ソの分割統治が行われる。7月、米英ソでポツダム会談が行われる。

西ドイツ=フランス友好条約

ECの成立

中華人民共和国の承認

第2次世界大戦とフランス植民地

ベトナム(東南アジア)

 第2次世界大戦中、ベトナムを含む東南アジアは、日本の占領下にあった。

 ベトナムも例外ではなかった。パリ陥落でヴィシー政府が成立する。9月に日独伊三国同盟が成立すると、ヴィシー政府はベトナムを日本に統治を任せた。

 11月、ベトナムはタイと国境紛争。翌41年5月、日本の仲介で解決する。

 41年4月、日ソ中立条約が成立。この中で抵抗運動を続けていた人がいた。ベトナム共産党のホーチミン氏である。41年5月、ベトミン(ベトナム独立同盟会)を発足した。

 41年12月、日本がアメリカ・イギリスに参戦。マレー海戦で日本海軍がイギリス海軍に勝利。

 45年3月、劣勢の日本軍は、インドシナ植民地政府を解体。ベトナム、カンボジアとラオスを独立させた。ベトナムには、阮朝のパオダイを皇帝とした。

アルジェリア(北アフリカ)

 パリが陥落すると、フランス植民地は、ヴィシー政府が継承した。自由フランスのド=ゴール将軍は、ヴィシー政府を呼びかけたが、従うものは少なかった。

 41年6月、ド=ゴールが北アフリカのアルジェリアに拠点を移す。

 42年6月、アメリカ・イギリス連合軍が北アフリカに上陸。モロッコ・アルジェリアで戦闘を開始。

 転換点は、英米連合軍のアフリカ上陸である。ドイツが劣勢になると、植民地政府も自由フランス側につくようになった。

 43年5月、ド=ゴール将軍は、アルジェリアでフランス国民解放委員会を結成。

インドシナ戦争

カンボジア独立

ドイツの敗北

冷戦の始まり

第三世界の台頭

核兵器の登場

国際連合の成立

パリ解放

ヒトラー自殺

FIFAワールドカップ開催

アルベールビル冬季オリンピック

 公共の場でのスカーフの禁止