1940年代後半のフランス 社会党政権とインドシナ戦争

前回の復習 1950年代のフランス

 1950年代のフランスは、第四共和制の時代。社会党を中心に左派政権が形成された。しかし、インドシナ戦争や第二次中東戦争の敗北。アルジェリア内戦は、長期化。フランス国民は強いリーダーを求めた。それが、第2次世界大戦の英雄であるド=ゴール将軍であった。ド=ゴール将軍は、クーデターで政権を掌握する。フランス第五共和政の始まりである。

1940年代後半の国際情勢

 45年8月、日本がポツダム宣言を受諾。これにより、第二次世界大戦は終結した。同45年10月、国際連合が発足した。しかし、平和な世界へと向かわなかった。アメリカの自由主義勢力(西側諸国)とソ連の社会主義勢力(東側諸国)の対立が始まった。冷戦である。

ヨーロッパ)冷戦の始まり

ドイツの戦後処理

 45年5月、ドイツが降伏。ポツダムで会談が開かれた。論点は3つである。

 1つ目は、フランスを参加させるかどうかである。

 2つ目は、共同統治か分割統治かである。

 45年11月、ニュルンベルク裁判が始まる。

 

東欧諸国で共産党政権が次々成立

 46年3月、イギリス元首相のチャーチルがアメリカで「鉄のカーテン」演説を行う。

 46年、ギリシャ内戦が始まる。イギリスの支援する王党派とソ連の支援する共産党員を中心とした反政府軍との戦争である。

 翌47年3月、アメリカのトルーマン大統領は、ギリシャ・トルコを軍事支援して、共産化を防止すると宣言した。これをトルーマン=ドクトリンという。

 6月、アメリカはヨーロッパ諸国への資金援助を発表した。これが「マーシャル=プラン」である。共産党政権になった東欧諸国は、これを受け入れなかった。

 10月、ソ連は、これに対抗するためにコミンフォルム(共産党情報局)を結成。東側諸国はこれに参加。フランス共産党やイタリア共産党もこれに参加した。

 

ドイツでベルリン封鎖

 舞台は、東欧から中欧に動く。始まりは、チェコスロバキアクーデターである。48年2月、チェコスロバキアで、クーデターが発生。共産党政権が成立する。

 翌3月、フランスなど西側諸国は、軍事同盟(西ヨーロッパ条約機構)を発足。参加したのは、フランス、イギリス、ベネルクス3国である。これは、のちのNATO(北大西洋条約機構)になる。

 4月、マーシャル=プランの受入機関としてOEEC(ヨーロッパ経済協力機構)が発足。

 48年6月、ドイツ西部でソ連を無視して通貨改革を実施。ソ連は、ベルリン封鎖を実施した。

 翌49年4月、西ヨーロッパ条約機構(軍事同盟)にアメリカなどが参加。NATO(北大西洋条約機構)が発足した。

 翌5月、ソ連は、ベルリン封鎖を解除。その後、ドイツは、東ドイツと西ドイツの2つの国として成立した。

インドシナ戦争

ベトナム共産党ホーチミンの独立宣言

 ベトナムは、フランスの植民地であった。パリが陥落すると、日本軍の支配下に入った。

 45年8月、日本がポツダム宣言を受諾。翌9月、フランスはベトナムの領有を宣言した。それに反発したのが、ホーチミン氏である。ホーチミンは独立宣言を発表。ベトナム民主共和国を建国した。フランスとベトナム独立軍のインドシナ戦争が始まった。

 ホーチミンは、ベトナム共産党のトップである。ロシア革命直後に結成されたフランス共産党に結党直後に加入した。その後、ロシアを経由し、

国際連合で常任理事国に

 45年10月、国際連合が発足。51カ国でスタートした。フランスは常任理事国として参加した。

 12月、IMF(国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行)が復活した。ドルを基軸通貨とした固定相場制が成立した。これをブレトン=ウッズ体制と呼ぶ。

カンボジアの独立

 話をベトナムに戻す。フランスは劣勢の状況が続いた。49年、フランスは、南ベトナムにベトナム国を建国。阮朝最後の皇帝を国王に就けた。

 49年、カンボジアが独立。

中華人民共和国の成立

 

政治)第四共和政と社会党政権

ド=ゴール政権

 45年11月、ド=ゴールが臨時政府首相に任命。

共産党の躍進

 46年1月、総選挙で社会党と共産党が躍進。ド=ゴール臨時首相は辞任。社会党を中心とした左派政権が成立。共産党もこの政権に参加した。

第四共和政

 46年10月、第四共和政憲法が成立。第四共和政が始まる。

 翌47年1月、社会党の大統領が誕生した。元首相のド=ゴールは、フランス国民連合(RDF)という政党を発足した。

社会党政権

 47年5月、ルノーの労働争議が発生。共産党が与党から離脱する。