17世紀前半のポーランド
17世紀前半のポーランドは、ポーランド=リトアニア共和国の時代である。ポーランド=リトアニア王国が13世紀後半に成立。16世紀に王家が断絶し、選挙王政へ。18世紀後半のポーランド分割で消滅した。
16世紀後半の国際情勢
日本は、安土桃山時代。信長秀吉の時代である。
中国は、明王朝末期。
ヨーロッパは、スペイン国王フェリペ8世がポーランド国王を兼任し、太陽の沈まぬ国と呼ばれる大帝国を築いた。
ポーランド=リトアニア王国
ヤゲヴォ朝
ポーランドは、ヤゲヴォ朝の時代に全盛期を迎える。ポーランドは国王は、貴族(シュラフタ)が相談して決める。14世紀後半、貴族は、隣国で戦争に強かったリトアニア大公を国王に迎えた。ここから始まったのがヤゲヴォ朝である。
ルブリン合同
69年、ヤゲヴォ朝が断絶。ポーランド貴族(シュラフト)は、リトアニアとの合併を模索した。ただ、国王に誓ったリトアニアの貴族はこれを嫌がった。
ただ、リトアニアは存亡の危機にあった。モスクワ大公国(後のロシア帝国)の侵攻を恐れていた。実際に、北部のラトビア(リヴォニア)をう場割れたばかりで明日。