17世紀後半のポーランド 大洪水時代

18世紀前半のポーランド

 18世紀前半のポーランドは、親ポーランドの国王の時代が続いた。これにより、親ロシアの国王と反ロシアの貴族(シュラフタ)の対立が続いた。そこでおきたのがポーランド継承戦争である。

17世紀後半の国際情勢

 日本は、江戸時代。犬将軍こと徳川綱吉の時代である。外交では鎖国政策が始まる。武断政治から文治政治への転換期になった。

 中国は、清王朝初期。康熙帝の時代。三藩の乱に勝利し、黄金時代に入っていく。

 ヨーロッパは、太陽王ルイ14世の絶対王政の時代である。

大洪水時代とは

 大洪水時代とは、ロシアとスウェーデンが洪水のようにポーランドへ侵攻し、ポーランドを荒廃させた事件である。

きっかけ)ウクライナの反乱

 ウクライナは、ロシアと同じ東スラブ人の国である。17世紀前半、ウクライナはポーランド支配を受けていた。

 48年、ウクライナでコサックの反乱が起こる。

ロシアの援軍

 この反乱に介入したのがロシアである。52年にロシアが反乱軍の支援に入った。

 この戦争は、宗教的側面が高い。ポーランドはカトリックを進行している。一方で、ウクライナは、ロシアと同じ東方正教会をを侵攻していた。

スウェーデンの侵入

 54年、混乱しているポーランドに新たな侵入者が登場する。北欧の大国であるスウェーデンである。

 スウェーデンは、プロテスタント(ルター派)を信仰。17世紀前半のドイツ三十年戦争でもプロテスタント陣営として参加した。

大洪水時代後のポーランド

国内

 60年に講和し、大洪水時代が終わる。国土は荒廃。中小のシュラフタ(貴族)は没落し、少数の貴族で政治を行うようになった。

プロイセン公国の独立

 プロイセン公国は、ドイツの前身の国である。17世紀、プロイセン公国は、ポーランドの1諸侯国であった。

 60年の講和で、ポーランドは、プロイセン公国の独立を容認した。

第2次ウィーン包囲でポーランド国王がウィーンを救出

 74年、ソビエスキー家のヤン3世が国王に選出された。大洪水時代を受けて、ひさびさのポーランド出身の国王である。

 83年、第2次ウィーン包囲。国王ヤン3世は、3万の軍勢を率いてウィーンを救出。96年、国王ヤン3世、没。99年のカルロヴィッツ条約では、ウクライナの一部を回復する。

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