1830年代のポーランド
30年代のポーランドは、独立運動が展開された。この独立運動は、フランス七月革命の影響を受けて始まった。この革命をテーマにして作られたのが、ショパンの『革命』である。
1820年代の国際情勢
日本は、江戸時代。徳川家斉の大御所政治が展開。景気が良く、江戸を中心とした化政文化が花開いた。
中国は、清王朝後期。中国南部でアヘン中毒者が急増。問題視された。
ヨーロッパでは、フランス革命後のウィーン体制の時代。フランスでは、シャルル10世の反動政治が展開されていた。
ウィーン体制下のポーランド
ポーランドは、17世紀後半のポーランド分割によって、ロシア、プロイセンとオーストリアに分割統治された。
ナポレオン戦争時にワルシャワ大公国として独立を回復した。
しかし、ウィーン議定書では、再び分割された。ロシア領はポーランド立憲王国、プロイセン領はポズナン大公国、オーストリア領はクラクフ共和国として、一定の自治が認めれた。
国王は、各国の王が兼任していたが、議会(国会)が設置され、ポーランド語の使用も認められた。
ショパン
ショパンは、ポーランド出身の作曲家。
10年に誕生。
29年、ピアニストとして成功。ワルシャワ音楽院を卒業。
30年、拠点をワルシャワからウィーン(オーストリア)に移す。
31年、ワルシャワで独立運動が起こると、拠点をウィーンからパリへ移す。