1980年代後半のポーランド
80年代が後半の東欧は、東欧革命の真っ只中にあった。88年の新ベオグラード宣言をきっかけに、翌89年、東欧諸国は民主化した。
1980年代前半の国際情勢
日本は、中曽根政権の時代。田中元首相の影響力が薄まっていく時代。
政治面では、ソ連のアフガン侵攻をきっかけに新冷戦が始まる。経済面では、新自由主義政策として、多くの国営企業が民営化された。
なぜ「連帯」は結成されたのか?
社会主義国の経済の仕組み
日本は、誰でも会社を起こすことができ、商品価格や給料を自由に決めることができる。職業を自由に決められる。これが資本主義である。
現在は、法律によって一定の制限を与える。
80年代のポーランドは、社会主義を採用している。社会主義では、企業はすべて国営企業である。商品価格や給料は国家がきめる。職業も国家が決める。
インフレの実施
80年7月、ギエレク政権は、商品価格の引き上げを発表。これに労働者は反発。ポーランド各地でストライキが起きた。
ストライキとは、労働者が経営者(政府)に要求をとおすために、多くの労働者が当時に休んで、事業ができないようにすることである。
この大規模ストライキを受けて、ギエレク政権は退陣。ヤルゼルスキ政権が成立した。
81年12月、ヤルゼルスキ政権は戒厳令を出して収拾した。
連帯の結成
連帯とは
連帯は、ポーランドの政党である。これが整理したきっかけが、80年7月の全国規模のストライキである。
9月、「連帯」が成立。初代議長にワレサ氏が成立した。
ワレサ
「連帯」の初代議長ワレサは、グダニスクの造船所で働いていた。80年7月の全国規模のストライキを指揮。9月に「連帯」を結成。翌81年12月に逮捕された。
83年、ノーベル平和賞を受賞。90年にポーランドの大統領になる。
第二の都市 グダニスクとは
ストライキが始まったグダニスクとはどのような都市であったのであろうか。グダニスクは、ポーランド重要な都市の一つであり、バルト海に面した港湾都市である。
ドイツ語ではダンツィヒと呼ばれ、中世はハンザ同盟に参加した。
近代に入ると沿岸部の地位が重要になった。グダニスク(ダンツィヒ)を含むポーランド沿岸部は、「ポーランド回廊」と呼ばれ、重要な係争地になっていた。
弾圧
81年12月、ヤルゼルスキ新政権は、戒厳令を出す。
このときに、ワレサ議長を逮捕。「連帯」を非合法化した。
これは、88年のストライキのときに解決した。